米国とイスラエルの対イラン攻撃によりイランはどう変わるのか

2月28日、米国とイスラエルは2025年6月に続き、2度目のイランに対する先制攻撃を開始した。
イランメディアによると、今回の米・イスラエルによる第1次の攻撃で、すでに最高指導者アリー・ハーメネイ師、国防・軍需相、統合参謀部長、革命防衛隊総司令官、国防評議会書記などの軍関係者、女子学生などを含む少なくとも787人以上が死亡している。
これに対し、イラン側は、イスラエル本土に加え、アラグチ外相がバーレーン、カタール、クウェート、アラブ首長国連敗(UAE)、サウジアラビア、イラクの外相に自衛のためにあらゆる防衛・軍事能力を行使すると通知し、アラブ諸国内の米軍基地や米国およびイスラエルの関連施設などを対象に報復攻撃を行っている。
これにともない、これらの国々では、人的および石油・天然ガス施設を含む物質的被害が出ている。さらに、イランはペルシャ湾やオマーン沖の船舶を対象にした攻撃も実施している。
このため、欧州市場の北海ブレント先物は前週末比で一時14%上昇、米国先物市場ではWTI原油先物が一時12%程度上昇し1バレル当たり75ドルを付けた。また、イランによるホルムズ海峡の封鎖の発表を受け、保険料なども高騰している。
米国・イラン関係については、2月3日付の拙稿「米国の対イラン武力行使がイランと国際社会にもたらす影響」の分析を参照していただきたい(なお、イスラエルが攻撃に加わることについては触れていない)。
https://real-int.jp/articles/3042/
高まるイランの核物質の安全性への不安
今回の米・イスラエルの攻撃の目的は、イランによる核兵器開発や長距離ミサイル開発の阻止、親イラン武装組織への支援の中止ではなく、イランのイスラム体制の打倒であることは明らかである。
パーラビ体制を支えた米国とイスラエルにとって、1979年のイラン革命以来、両国に強い敵対意識を持つイランのイスラム体制の存在は脅威であり続けてきた。
両国が危惧する具体的な脅威としては、
(1)ロシア、中国、北朝鮮などの協力によりイランが急速に核兵器開発を進展させること、
(2)イランが親イラン武装組織に核を拡散しテロ攻撃が行われること、
(3)湾岸産油国のエネルギー供給を妨げることなどである。
トランプ政権も、こうした脅威を低下させるため、これまでの米政権と同様に経済制裁、外交交渉なども行ってきたが、今回、イスラエルとともに軍事力を用いてハーメネイ師を排除し、新たな政治体制を誕生させようと試みている。
果たして、今回の攻撃は、両国が存立危機に直結すると考えるイランの核問題を解決することができるのだろうか。
2025年6月の米・イスラエルによるイラン攻撃の時点で、イランは60%の高濃縮ウラン(440.9kg)、20%濃縮ウラン(184.1kg)、および8トンにおよぶ低濃度の濃縮物質を保有していたが、国際原子力機関(IAEA)は、現在のところその所在を把握できていない。
さらに、イランには、2011年からロシアが協力(600人のロシア人スタッフが勤務)しているブシェール原子力発電所やテヘラン原子力研究センターがあるが、これらの施設の使用済み燃料の国外への搬出状況も不明である。
国際的な安全保障の観点からすれば、まずは、これらの核物質の保管状態の確認や、イランの核技術・情報の拡散防止が最優先課題といえる。
しかし、今回の攻撃では、ハーメネイ最高指導者の殺害が優先された。これにより、かえって、イラン軍による意図的な核物質の拡散リスクだけでなく、イラン国内の政治対立による混乱が生じれば、金銭的動機から闇市場で取引するため核物質が国外に持ち出されるリスクや、核技術者・科学者の国外流出リスクも高まった。
確かに、「空から」、
(1)イランの指揮系統を無力化し、
(2)イランによる報復攻撃に使われるミサイルや発射装置を破壊し、
(3)抗議活動を弾圧した治安当局への攻撃を進める「エピック・フューリー(壮絶な怒り)」作戦は、
米軍とイスラエル軍との綿密な調整の下で行われたようである。
けれども、核拡散の観点からみれば、イラン国内との連携が不十分で、米・イスラエルの作戦が長引き、イランの政治・経済・社会の損害が大きくなればなるほど、国際社会での「核のテロ」リスクは高まるといえる。
次に、イランの核物質の安全性確保と関連するイラン国内のポスト・ハーメネイ体制の構築について考察する。
イランは最高指導者を失った経験を活かせるか
最高指導者ハーメネイ師の死によって、イランのイスラム体制の存続の岐路に立っている。
イランは、米・イスラエルの空爆が続き、さらなる大規模攻撃がトランプ政権により予告される中で国内統制を保てるのか、また、トランプ政権が期待するように昨年末から年初にかけてのように反政府運動が勢いを増すのか、今のところ不透明である。
ただし、イランは、1989年6月、イラン革命の指導者でカリスマ性の高い初代最高指導者ホメイニ師の死去の際に、イスラム体制の中心的な権威者の喪失を経験している。
その死は、1980年9月から88年8月までの長きにわたるイラン・イラク戦争後、1年も経たない厳しい政治・経済・社会情勢の中で訪れた。
革命後のイランの政治は、必ずしも安定したものとはいえず、ホメイニ氏が実現したイスラム法学者の統治(ヴェラーヤテ・ファギー)体制を支えた勢力(保守派、ラフサンジャニをはじめとする現実派)とリベラル派勢力(民族主義派、左派)、政教一致の政治体制に反発するイスラムの伝統的宗教勢力(伝統派)、イスラム共和国の構築を国家統制のもとで急進的に実現しようとする勢力(急進派)との対立が見られてきた。
それでもホメイニ師路線が維持されてきた理由として、
(1)イラン革命を頓挫させようとする外圧への反発、
(2)緻密に構築された政治制度、
(3)石油収入の再配分などが挙げられる。
そのイランで、ホメイニ師の死の翌日(1989年6月4日)には、大統領であったハーメネイ師が後任の最高指導者に選出され、7月28日には空席となっていた大統領の選挙および憲法改正の国民投票が実施された。さらに、行政の組織改革も行われた。
こうした確実な対応によって、その後、ハーメネイ師のもとで保守派によるイスラム体制が維持されてきた。
イスラム体制の転換の困難さ
改正された憲法は、イスラム体制を転換させる際の大きな障害になると考えられる。
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全文を読みたい方は「イーグルフライ」をご覧ください。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より一部抜粋しています。
(この記事は2026年3月3日に書かれたものです)
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https://real-int.jp/articles/3064/
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