世界を変える一つの式

たった一行の式が世の中に大きな変化を起こすことがあります。
たとえば、ニュートンの「F=ma」は、物体に働く力と物体の加速度の関係を説明し、物体の動き方を正確に記述することが可能にしました。アインシュタインの「E=mc²」は、エネルギーと物質が同値であることを明らかにし、世界に大きな驚きを与え、科学の発展を大きく促しました。
経済の世界にも、大きな影響力のある一つの式、トマ・ピケティの発表した「r > g」があります。今回のお話では、「r > g」がどうやって世界に影響を与えたのかということ、その背景や意味についてできるだけやさしく説明していきたいと思います。
「r > g」とは?
フランスの経済学者トマ・ピケティは『21世紀の資本』(2014年)で「r > g」という式を世界に示しました。「r」は資本収益率、「g」は経済成長率を表しています。この式は、資本収益率が経済性成長率よりも高いということを意味しています。それが世界に衝撃を与えたのです。
この式は、お金持ちとそうでない人の差がなぜ大きくなるのかを教えてくれます。「r > g」はただの数式ではなく、現代の社会が抱える問題をはっきり示し、国のルールや人々の考え方を考えるきっかけを作った「影響力の大きい式」です。
ピケティの式の背景〜お金持ちとそうでない人の歴史
「r > g」を理解するには、まず、お金持ちとそうでない人の差がどう変わってきたかを見てみましょう。この差は、昔からずっと人間の歴史にありました。18世紀から19世紀、ヨーロッパでは、貴族やお金持ちが土地や工場をたくさん持っていました。彼らはどんどん富を増やしましたが、普通の労働者はお給料が少なく、差が大きかったのです。たとえば、1910年頃のイギリスでは、トップ1%のお金持ちが国の富の65%近くを持っていました。
20世紀になると、大きな戦争が起こり、状況が変わりました。戦争でお金持ちの資産が壊れたり、戦後の新しいルールで富がみんなに分けられたりしました。1950年代から1970年代は、経済がぐんぐん成長し、普通の人もお給料が増えて、生活が良くなりました。でも、1980年代から、またお金持ちの富が大きく増え始めました。アメリカでは、1980年から2010年までに、トップ1%のお金持ちが国の富の約33%、所得の約50%を持つようになったのです。
このような歴史を調べるために、ピケティはものすごい量のデータを集めました。彼の研究は、過去数百年、20カ国以上のデータを集める大仕事でした。ピケティと仲間たち(エマニュエル・サエズやアンソニー・アトキンソンなど)は、1700年代から今までの主要な国(フランス、イギリス、アメリカ、ドイツ、日本など)のデータを集め分析しました(ただし、中国やインドなど発展途上国のデータは少なく、先進国中心の研究だったため、すべての国をカバーできていないとの指摘もあります)
ピケティのデータ集めは、まるで歴史の宝探しのようでした。フランスでは、1700年代の古い税金の書類や、1800年代の遺産の記録を調べました。アメリカでは、1913年に始まった所得税のデータを使って、お金持ちの収入を追跡しました。でも、これらのデータは、古い紙に書かれていたり、バラバラの形式だったりしたので、整理するのが大変でした。ピケティたちは、足りないデータを補足したり、違う国のデータを比べらたりできるように工夫しました。
この仕事は本当に苦労の連続でした。数百年前のデータは、戦争やルールの変更で欠けていることが多く、集めるには各国で古い書類を直接見に行く必要がありました。ピケティたちは、世界中の研究者と協力して、大きなデータベース(世界不平等データベース〜WID)を作りました。この作業は、歴史のピースをパズルのようにつなげるようなもので、ピケティは「データの考古学」と呼ぶほど大変だったと言います。でも、この努力のおかげで、ピケティは「r > g」という重要なパターンを見つけ、お金持ちとそうでない人の差が大きくなる理由を明らかにしたのです。
ピケティの式が示すもの〜お金の増え方の違い
「r > g」って何? 簡単に言うと、「r」はお金持ちのお金が増えるスピード(資本収益率)、「g」はみんなの収入が増えるスピード(経済成長率)です。ピケティのポイントは、たいていの場合、rがgより大きい、つまり、お金持ちのお金が普通の人の収入より速く増える、ということです。これが、差を大きくする理由なんです。
たとえば、こんなイメージをしてみて。あなたがいくつかの会社の株を合計100万円分を保有していて、毎年5%の配当(これがr)をもらうとする。その配当でまた株を買い株数を増やすとする。一方、あなたのお給料は毎年2%(これがg)しか増えないとする。10年後、あなたの保有する株式の価値は合計約163万円に、1.63倍になるけど、お給料の増え方は1.28倍にとどまる。実際には起業の成長に伴い配当の額も増えていくし、株価自体の値上がりもある(下がる場合もあるが、長い目で見れば結局は上がっていく)
この差がどんどん広がって、株などの資本をたくさんもっていて収益を受け取っているお金持ちはますますお金持ちになるけど、普通の人は給料だけではとうてい追いつけない( rには株式や債券だけでなく、住宅価格の上昇も含まれるため、純粋な「資本」の収益だけではないとの意見もあります)
ピケティは過去のデータでこのパターンを証明しました。1800年代のヨーロッパでは、rがgよりずっと大きく、お金持ちの富がぐんぐん増えました。1900年代の半ば、戦争や高い税金のおかげで、gがrを上回り差が縮まった時期もありました。でも、1980年代からまたr > gの状態に戻り、アメリカではトップ1%のお金持ちが国の富の約33%を持つこともありました。
ピケティのデータから、こんなことがわかります 。

このデータは、r > gが、お金持ちと普通の人の富の差を大きくする強い力だと教えてくれます。ただし、戦争や技術の変化、国のルールでこのパターンが変わることもあります。ピケティは、資本主義という仕組みがこのパターンを生み出し、放っておくと差がどんどん広がると警告しています。
世界への影響〜ルールや社会の変化
ピケティの『21世紀の資本』は、経済だけでなく、国のルールや人々の動きに大きな影響を与えました。まず、国のルール(経済政策)では、ピケティが提案した「もっとお金持ちに税金を払ってもらう」アイデアが話題になりました。これは、収入や資産が多い人に高い税金を課す方法で、富をみんなで分ける仕組みです。たとえば、1億円稼ぐ人は50%、1000万円の人は20%の税金を払う、みたいな感じです。
ピケティはさらに、「世界中でお金持ちに税金を払わせる」アイデアも出しました。これは、どの国にいてもお金持ちが税金を逃れないようにするルールです。この提案は、フランスやアメリカで政治家や市民の間で大きな議論になりました。アメリカでは、バーニー・サンダースやエリザベス・ウォーレンという政治家が、ピケティの考えを取り入れて、お金持ちへの税金を増やす案を話しました。でも、お金持ちや企業から「経済が元気を失う」「国同士の協力が難しい」と反対も多く、実現は難しいようです。
社会の動きにも影響がありました。2011年の「Occupy Wall Street」という運動では、人々が「1%のお金持ちが99%の富を持っているのはおかしい!」と訴えました。この運動は、ピケティの研究以前でしたが、彼と仲間たちの早期の格差研究が間接的に影響を与え、後にピケティの仕事でさらに注目されました。
お金持ちとそうでない人の差が大きくなると、いろんな問題が起きます。たとえば、教育の差。お金持ちの子どもはいい学校や塾に行けるけど、貧しい子どもはそういうチャンスが少ない。健康の差も大きい。貧しい地域では病院に行くのが難しく、病気になりやすい。2020年のコロナウイルスのときも、お金持ちは安全な家で仕事できたけど、貧しい人は仕事を失ったり、病気にかかるリスクが高かったのです。
ピケティの式への反対意見〜本当に正しいの?
ピケティの「r > g」はすごい発見だけど、だれもがみんな「その通り!」と言ったわけではない。いくつか反対意見があります。
*データの限界
ピケティのデータはすごいけど、全部を説明できない、と言う人がいます。たとえば、戦争や技術の進歩、国のルールが変わると、r > gのパターンが変わるかもしれない。また、ピケティはアメリカやヨーロッパのデータが中心で、発展途上国のことはあまり考えてない、との意見もあります。
*世界全体の視点
ピケティは国ごとの差に注目してるけど、世界全体で見ると、違う話もある。中国やインドみたいな国の経済が成長して、世界の貧富の差が縮まってる、というデータもあります。ピケティの話がアメリカやヨーロッパに偏りすぎ、との批判です。
*人的資本の軽視
ピケティは土地や株などの物的資本に注目しているけど、教育やスキル(人的資本)が格差にどう影響するかはあまり考えてない、との指摘もあります。
*ルールの難しさ
ピケティの「世界中で税金を」っていうアイデアは、いいけど、実際はとても難しい。国同士が協力しないといけないし、お金持ちが税金を逃れるのを防ぐのも大変。税金を増やすと、経済が元気を失うかもしれない、との意見もあります。
ピケティも、「r > gは差の全てを説明するわけじゃない。国のルールや文化も大事」と認めています。批判はあるけど、彼の研究が豊かさの差について考えるきっかけになったのは確かです。
今と未来〜ピケティの式はどう役立つ?
ピケティの「r > g」の発表から10年以上経ちました。その間も r > gが成立し続けています。特に2020年以降は、コロナ禍の影響で、差がさらに大きくなりました。お金持ちは株や不動産で儲けたけど、普通の人は仕事や収入を失いました。ピケティは、「コロナは差のひどさをはっきり見せつけた」と言って、もっと税金によって富を再配分する必要があると話しています。
技術の進化も差に影響しています。AIやロボットは、特別なスキルがある人にいい仕事をもたらすけど、普通の仕事は減るかもしれない。AmazonやGoogleみたいな大きな会社がどんどん富を増やしていて、r(お金持ちの儲け)がg(みんなの収入)より速く増える状況が続いています。
これからどうなるのだろう? ピケティは、みんながいい教育を受けられるようにしたり、医療を安くしたり、世界でお金持ちに税金を払わせるルールを作ったりすることを提案しています。ただし、これらのルールを作るのは、税金を逃れる人や国同士の協力の難しさで、簡単ではありません。自然災害への対応も大きな問題。お金持ちは災害にあっても対応しやすいけど、貧しい人は洪水や暑さに弱い。ピケティの考えを使えば、これらの問題を一緒に解決するルールが作れるかもしれません。
ピケティの「r > g」は、まだ世界を変えたとまでは言えませんが、資本主義が人々の富の差を大きくする仕組みを教えてくれ、国のルールや社会の動きを考えるきっかけを作ったといえます。お金持ちに税金を増やす提案は、難しいが、公平な社会への大事な一歩です。でも、税金だけで差がなくなるわけじゃなく、教育や労働者の権利など、仕組み全体を変える努力も必要です。
「r」を受け取る
ピケティが膨大なデータから導き出した「r > g」は、今後もよほど世の中の仕組みが大きく変わるような事がない限り成立していくはずです。それならば、私たちも、それを利用していくことが大事だと思います。つまり、私たちも少しでも「資本」を持つこと。例えば、成長する企業の株式(あるいは株式市場全体に投資するETFやファンド)を資産の一部として保有して「r」を受け取っていくことです。
昔は「資本家」と「労働者」が切り離された存在でしたが、現在は誰でも株式市場に参加して資本を持つことができる仕組みが確立されています。誰でも「労働者であり資本家でもある」という存在になれるのですから、それを活用するのが良いと思います。ピケティの「r > g」は、私たちの資産形成のあり方にも大きな示唆を与えてくれるものだと思います。「r」を受け取る人々が増えることにより結果的に富の偏りの差が小さくなるかもしれません。