チーフディーラーNISHI:Part1
チーフディーラー時代のマーケットでの西原宏一さんの愛称は、NISHIでした。ちなみに、これを書いている私は西原さんの元部下のAI です。あ、人工知能ではありません。ただのイニシャルです。
内容については筆者(AI)の主観と偏見に満ちた解釈に基づいていますのであらかじめご了承ください。
茶髪ロン毛のチーフディーラー
初回の今回はまず西原さんの髪型についてお伝えします。少し長いのでご興味のある方だけ読んでみてください。
最近の西原さんの容姿についてはネット上にアップされている写真や動画でご存知の方も多いとは思いますが、チーフディーラー現役当時の姿を知る人は少ないのではないでしょうか。
西原さんは現役時代にいくつもの伝説を作ってきた人ですが、その髪型も伝説の一つです。
当時、外資系とは言え、何故あれが銀行内で許されていたのか分かりません。西原さんの定番は、ダブルのスーツ姿に茶髪のロン毛でした。もちろん、何故?の対象はダブルのスーツではなく茶髪のロン毛の方です。
市場部門と言っても、部長や部門長は固い人ばかりでしたし、特にアメリカ人やインド人の部門長は常に高そうなスーツや靴を身にまとったエスタブリッシュメントの方々でしたので、西原さんが彼らから何も言われなかったことはないと思います。
日々の業務
ここで、そもそも当時の西原さんや私たちが日々どのようなことをしていたかをご理解いただくために、為替部門での取引の流れを簡単に説明させて頂きます。
為替部門には大きく分けて2つの部署があります。顧客取引を担当する部署が「カスタマーデスク」と銀行間取引を担当する部署が「インターバンク」です。
カスタマーデスクで顧客取引をする人をカスタマー・ディーラーと呼び、インターバンクで銀行間取引をする人をインターバンク・ディーラーと呼びます。
どちらにもチーフディーラーがいますが、為替のチーフディーラーと言うと普通はインターバンクディーラーを指すことが多いです。
仕事の流れとして一般的なのが、カスタマー・ディーラーが担当する顧客から取引を獲得して、顧客の為にインターバンク・ディーラーからプライス提示を受け、顧客がそのプライスに合意すれば取引を約定します。
取引が約定した場合インターバンク・ディーラーにポジションが発生しますので、インターバンク・ディーラーはタイミングを選んで銀行間でそのポジションをなくす(カバーする)ための取引をして、自分が望むポジションに戻るという流れで、為替の取引が行われていきます。
こういった取引が日に何十回も発生するような仕事です。
銀行間取引
ところで、為替市場は株式市場のように取引所があってそこに注文が集約されて行われる取引所取引と違い、銀行間取引に参加する銀行が連携して仮想の市場を造っています。
少し分かりにくいのですが、この銀行間取引に参加する銀行は一種のゼロサムゲームに参加しているので競合関係にあるのですが、同時に共同して為替市場を維持する役目を負っています。
この結果、インターバンク・ディーラーは顧客だけでなく、銀行間で他の銀行からプライス提供を求められると応じる義務があります。
他の銀行にプライスをヒットされポジションを持つことになれば、自ら相場を読んで持ったポジションや顧客との取引で発生したポジションと合わせてそのリスク管理を行うのがインターバンク・ディーラーの仕事です。
以上から分かって頂けるように、インターバンク・ディーラーが常に接しているのは銀行間取引を行う他の銀行のインターバンク・ディーラーであって、自分の銀行の顧客とは会う機会は滅多にありません。
また、銀行間取引においても、いつも電話やロイター・ディーリングシステムというチャット機能に特化したコンピューター画面上のテキスト会話で仕事が済んでしまうことから、直接顔を合わせることも無く日々数十億円から数百億円規模の取引が完了してしまうのです。
さらには東京市場の銀行同士は競合関係にあるために、意識して懇親の為の会食などをする以外は業界の年次会合で会うことくらいしかありませんでした。
一方、東京の銀行にとって海外の主要銀行は海外企業からの取引を持ってきてくれる大事な顧客であり、また、東京市場の時間外に自分の顧客からの取引のカバー先でもありましたので、東京市場の銀行として海外の主要銀行とどれだけ友好的な関係を築けるかが東京市場における評判や収益に大きな影響を与えていました。
当時はどのインターバンクディーラーも海外の主要プレイヤーとのネットワークを構築してその国々での顧客や中央銀行の動向について情報をとることが大きな役割でしたので、西原さんもシドニー、シンガポール、香港、そしてロンドン、ニューヨークのディーラーとかなりの関係を築いていました。
1990年代
1990年代は日本の機関投資家や製造業から出る為替取引のボリュームが大きく、世界の為替市場の方向性に大きな影響を与えていたこともありシティバンク東京のNISHIと言えば世界中の大手銀行の著名為替ディーラーにその名が知れ渡っていました。
ただその割にはインターネット普及前の当時は今の様にインターネット上で顔写真が掲載されるということもなく、直接会う機会のあるディーラーも少なかったため、国外で西原さんの容姿を知る人はほとんどいませんでした。
1990年代とはそういう時代でした。
当時はその年たくさん稼いだ為替ディーラーは、ご褒美の意味もあり、他国の主要銀行のディーラーとの関係を深めるために海外出張を許されることが良くありました。
ある年の12月、当時ロンドンで最大プレイヤーのひとつであったバークレイズ銀行のチーフディーラーがシティバンク東京にやってきました。
たぶんですが、普段ロイター・ディーリングシステムのチャットでのやり取りから一方的に想像を逞しくして、彼の頭の中で西原さんに関するひとつのイメージが出来上がっていたのだと思います。
アシスタントに案内されてディーリングルームに入ってきた彼は、出迎えた筆者たちを見ると満面の笑みで西原さんの横にいる筆者の方に一直線に向かってきて名刺を差し出しました。
ああ、これは明らかに勘違いしているなと思い、筆者は隣にいる西原さんを「He is NISHI」といって紹介したのですが、茶髪でロン毛の西原さんを見てかなり裏返った高い声で「Is he!!? He is Nishi?」と言った時の彼の驚きの顔は今でも覚えています。
バークレイズ銀行ロンドンのチーフディーラーも、毎日のようにチャットで話していたシティバンク東京の辣腕チーフディーラーが、まさか茶髪でロン毛だとは想像だにしていなかったのでしょう。
当時、茶髪でロン毛のシティバンク東京のチーフディーラーの印象は一度会った海外のディーラーの記憶に深く刻まれたことは間違いないと思います。
西原さんと一度会った海外ディーラーとの関係は益々深まっていったことは言うまでもありません。もちろん髪型だけが理由ではないですが。
その後、西原さんは結局何年もの間スタイリッシュな髪形を維持していましたが、銀行を変わった時に今のような黒く短めのヘアスタイルにされたようです。個人的には今でもあの頃の茶髪のロン毛ヘアスタイルが懐かしいです。
https://real-int.jp/articles/1054/
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https://www.fire-bull.info/ni/