30年以上、相場の世界で生きてきた、私のトレード手法の原点
過去36年のトレード経験に基づいた、独自のチャート分析手法やトレード論を解説!
独自のチャート分析手法(「スパンモデル®」「スーパーボリンジャー®」「アクティベート時間分析®」等)による相場分析方法。過去36年に及ぶトレード経験に基づいた、メンタル面からのトレード論も公開しています。Twitter https://twitter.com/murphyFX
トレードは科学である
私の相場に対する根本的な考え方は、「相場、トレードは科学である」というものです。「相場を科学する」という表現を使って良いかもしれません。
そして、科学的に解明した結果や判断に基づいて、自己資金を投じ、トレードすることが、私が目指し、行っていることです。
一般的に相場をやる、トレードをやると言えば、その時々の相場材料に基づいて自分の相場観を持ち、その相場観に基づいて、自己ポジションを造成し、収益を目指すことを指します。
確かに、「相場観」という意味では、私も異論はないのですが、この「相場観」のベースに何を持ってくるかで、アプローチが大いに異なってきます。
このアプローチとは、大きくわけて、2つあります。
「相場の動きそのもの」に重点を置く
1つは、相場材料、つまり、「経済指標、イベント等のファンダメンタルズ」に重点を置くか、それとも、「相場の動きそのもの」に重点を置くかの違いです。
そして、結論から申し上げると、私は、後者、つまり、「相場の動きそのもの」に重点を置きます。「相場の動きそのもの」を分析の対象とし、しかも、科学的に分析、判断します。そして、その分析、判断に基づいて、ポジションを造成したり、手仕舞いします。
何故、このような考え方に至ったかを、以下、簡単にお話ししたいと思います。私事ですが、初めてディーラーになった当時、不思議に思ったことがあります。それは、「何故、こんなに優秀な先輩ディーラー達が儲からないのだろう?」という素朴な疑問でした。
約4か月間の研修期間に、ディーラーとしての最低限の知識を付けた後に赴任した、当時の三和銀行(現:三菱UFJ銀行)ニューヨーク支店ディーリングルームには、先輩ディーラーが何人もいました。当時(1984年12月に赴任)は、海外マーケットと言えば、ニューヨーク市場とロンドン市場がメッカであり、東京市場はまだまだという存在でした。
しかし、1985年9月にG5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)が開催されて以降、「円」が一気に脚光を浴びるようになったのです。そして、ドル円相場が外国為替市場で大きく取引されるようになるにつれ、日本の銀行の存在価値が日増しに高まっていきました。
そのような背景の下、邦銀勢は、ニューヨーク支店やロンドン支店という海外の主要拠点に大きなディーリングルームを作り、辣腕と評価されたディーラーをどんどん送り込んでいったのです。
本来、東京本部で新米から叩き上げられて長い下積み生活を経たディーラーが、ようやく念願叶って、海外支店、それも、主要拠点であるニューヨークやロンドン支店で勤務できるというのが一般的な先輩ディーラーの目標であり、実際に赴任を実現出来た先輩ディーラーの経歴でした。
したがって、先輩ディーラー達は、基礎知識はもちろん、マーケット関連知識を充分に身に付けた後に、赴任していたわけです。したがって、それなりに自信もあり、当然のことながら、ある程度の成績を残せるはずと目論んでいたと思われます。
ところが、現実はと言うと、まったく歯が立たなかったというが大半のディーラーに見られた業績結果でした。しかしながら、その当時の私にしてみれば、こんなに優秀な先輩ディーラーが、何故、儲からないんだ、成績が悪いんだ、と自問しても、回答が見つかりませんでした。
むしろ、正直なところ、そんなことを言っている余裕が自分にあるわけでもなく、私自身としては、こんなに好きになった仕事をクビになりたくありませんでした。とにもかくにも、私自身も好成績を残さないと、クビになるのは時間の問題だということを意識していました。そこで、必死でくらいついていったわけです。
当時を振り返ってみると、確かに、先輩ディーラー達は、皆さん、優秀ではありましたが、どちらかと言うと、「何故、自分がディーラーなんかに?」なんて意識を持っていた人も多かったようです。
確かに、銀行員としてのエリートの仕事の範疇に、「ディーラー」は入ってはいなかったように思えます。当時、銀行員としての花形部門と言えば、やはり、「法人営業」であり、「融資」でした。(あの「半沢直樹」の世界ですね。。)
海外勤務と言えば、ニューヨーク支店やロンドン支店が憧れの場所であった時代です。今でこそ、アジアが脚光を浴びていますが、当時は、まだまだ、欧米で勤務することが、エリートの登竜門であったわけです。そして、銀行員としては亜流と思われた市場部門(外国為替、資金、債券)がゆっくりと、しかし、確実に脚光を浴びかけた時代でもあったのです。
それでも、先輩ディーラー達は、所詮は、ディーラーという仕事は、「通過点」に過ぎず、ディーラーを経験する中で、外国為替や資金、そして、債券の知識や経験を身に付けた後で、銀行員としての花形部門に移っていきたいと思っていたのが、現実でした。
したがって、ある意味、同じディーラーであっても、邦銀のディーラーは、世界の外国為替市場で戦っている、外資系銀行のディーラー達と太刀打ち出来るわけがないのも当然でした。何故なら、そもそも、彼ら、外資系銀行のディーラー達は、ディーラーという仕事を「本職」としており、成績連動型の報酬体系で働いていたわけです。
それに対して、言ってみれば、大半が、「腰掛け」のような意識でいた邦銀のディーラー達が、同じ「土俵」で勝負して勝てるわけがないのです。もちろん、外資系銀行のディーラーだから優秀という意味ではなく、彼ら自身が生き残りをかけて、必死でトレードしている、そんな環境の中にいたわけです。
とにもかくにも、私自身、ある程度の好成績を残さないと、すぐにクビになって他の部門に移されてしまう身分であったわけです。なので、必死でがんばったわけです。
そして、思ったことは、ディーラーとして、好成績を残すには、ただ単に、市場で話題となっている「相場材料」を追いかけていては何の役にも立たないということでした。
表向き、「相場会議」などで、いくら、高尚な「ファンダメンタルズ(経済的な一般的諸状況)」の話をしても、それが、結果に結びつかないかぎり、所詮は、負け犬の遠吠えだということに気が付くのにそう時間はかかりませんでした。
そうなのです。ディーラーというのは、結果を残してなんぼ、の世界に生きているわけです。そこでは、極論すると、途中のストーリーなど、どうでも良いことです。
全ては「結果」「成果」であるわけです。
と言うわけで、私は、如何にすれば、好結果を残せるかを徹底的に追及しました。そして、あれこれ、試行錯誤を積み重ねてきた結果のスタイルが今の状態です。
相場のことは相場に聞くしかない
今まで、約30年もの間、マーケット部門、市場部門で生きてきましたが、やはり、人間という動物は「失敗」しないと学ばないように出来ているようです。
「失敗=大歓迎」「失敗=希望」という図式すら描けるようになった私は、当初の頃に失敗した原因を徹底追及したのです。
そして、辿りついた結論は、相場のことは相場に聞くしかない、ということでした。
いくら、相場が動いている要因、材料を挙げたところで、どんな時にも、常に、「買い材料」「売り材料」が存在しているということ。そして、ほとんどの場合、相場が動き出して、相当に時間が経過してから、ようやく、「〜だから上がった」、「〜だから下がった」と後講釈が並ぶだけです。
マーケットの真っ只中にいるディーラーにとっては、その場、その瞬間での判断が常に求められます。相場が一段落した後で、いくら理路整然に相場変動の説明をすることが出来ても、まったく役に立たないのです。
当時、私がいたディーリングルームの中には、確かに理路整然と相場の動きを解説することが出来た先輩は大勢いました。充分なる経済的知識を持った上で、頭脳明晰な人達でしたから、当然と言えば当然のことではありました。
しかしながら、その解説は、常に、一相場が終わってからに過ぎませんでした。「今、この瞬間」に、相場がどちらの方向に向かう可能性が高いという点について、ほとんど誰もが正確には説明出来なかったのです。
もちろん、相場は上がるか下がるか、動かないかの3通りしかないのですが、このことすら、まともに「予測」出来る人はいませんでした。尚、「予測」とは、「予想」とは違い、「こうなればこうなる」「ああなればああなる」という風に、相場そのものの動きを、条件付けしながら判断していく「作業」のことです。
もっとも、私も最初から出来たわけではないです。当然のことながら、苦戦の連続でした。それでも、ヒントらしきものを得たおかげで、何とか、見習い期間を乗り切ることが出来ました。
そして、ディーラーとしての「苦しい、しかし楽しい時間」を過ごし続けることが出来たのです。そして、その「ヒント」なるものが何であったかと言うと、相場そのものを分析、判断するということでした。
分析手法の背景にある科学的根拠
当時も今も、世の中では、「テクニカル分析」と呼ばれているものがあります。この「テクニカル分析」に近いと言えば近いのですが、私自身の中では、一種異なるものと認識しています。
つまり、世の中の「テクニカル分析」と聞くと、やはり、薄っぺらいものという印象を持たざるを得ないのです。
もちろん、それぞれの分析手法には、背景として、科学的根拠が存在してはいるのですが、それらを使用する市場参加者が、どの程度まで本質を理解しているかで、その効果、効用が大いに異なってくると思うのです。
その点、私の手法を理解していって頂く中では、相場の本質的な話も大いに出てきます。
最初は、私が何を言っているのかと疑問に思われることもあろうかと思いますが、時間と共に、次第に、相場の本質を理解され、分析手法を理解され、実践に活かすことが出来るようになります。どうぞ、学びの姿勢を忘れないようにして頂きたいと思います。
「守 破 離」という言葉があります。日本古来の伝統文化や武道などの世界で用いられる表現です。
「守」とは、師の教えを守ること、学びの時間を惜しまないことです。
「破」とは、師の教えに、自分なりの変化を少しつけてみることです。
「離」とは、師の教えから離れて、自己流を確立していくことです。
ぜひとも、まずは、基本をしっかりと身に付けてください。その基本の理解には充分に時間を掛けてください。
そして、やがて、自分なりの方法を少しずつ加えていき、最終的に、自分が心底から納得出来る手法に構築していくのです。もちろん、最終的なスタイルが、私と全く同じでも構いません。とにかく、大事なことは、相場に対するアプローチを間違えないことです。
私が過去、大失敗、大損した時は、自分の方法、やり方を逸脱した時でした。どうぞ、自分のやり方を極められた暁には、心底から信じて徹底的に継続することをお勧めします。
尚、最初の段階では、デモトレードを行うか、実践トレードを行うにしても、最小単位のポジションにとどめておいてください。何事も、生兵法は怪我のもと、です。
以上、「私のトレード手法の原点」をテーマに解説しました。