①ウィーンモダニズムとは
ウィーンモダニズムとは何か
人類史の中には、あらゆる分野の才人が集まり、文化が急速に花開く時が存在します。
おそらく、日本で最も有名なのは14世紀-16世紀で起きたイタリアのルネサンスの方ではないでしょうか。
ルネサンスに負けず劣らず、そうした文化のビッグバンが起きたのが19世紀末-20世紀初頭のハプスブルク帝国下のウィーンなのです。
例えば、絵画で言えば、ルネサンス時代にレオナルド・ダ・ビンチが描いたモナリザのように、ウィーンモダニズムにおいてはクリムトがいます。
しかし、この時代に起きた文化の大変革は、絵画・芸術だけに留まらないものがあります。
いままでにないほど知的なビッグバンが起き、新しい学問も生まれています。
以下、ウィーンモダニズムを取り巻く人々の一部です。
●音楽
ウィーン楽友協会(ウィーンフィルの母体)の設立
ワルツとヨハン・シュトラウス2世
ブラームス、ブルックナー、マーラー
など
●芸術
グスタフ・クリムト
ヨーゼフ・ホフマン(ウィーン工房)
オットー・ワーグナー
など
●学問
フロイト、ウィトゲンシュタイン、ゲーデル、ポパー、ノイマン
ボルツマン、マッハ、メンデル、シュレディンガー
ブレンターノ、フッサール、シュタイナー、テスラ
カール・メンガー、シュンペーター、ミーゼス、ハイエク
など
これらはほんの一部ですが、どこかで聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。
この時代のウィーンの特徴は、国際都市であり、他のヨーロッパの都市とも交流があり、知識人が分野を超えて交流した場でもありました。
また、同時代に行われたウィーン万博など、東洋の文化も流れ込んでいました。そのような新しい知の流れから、これまでのスコラ哲学的なものの見方が変わり、大きな知的なイノベーションが起きたのが19世紀末のウィーンモダニズムです。
この時代のウィーンのように、国際的に様々な知識人、クリエイターやアーティストが交流し、世界的な文化の中心都市を日本に作る、ということが日本のこれからの戦略としても非常に重要であると考えています。
教養としてのウィーン
・様々な現代につながる文化、学問の歴史上のターニングポイント
・国際的な文化の中心、世界都市
・欧米人のエスタブリッシュメント的な世界観を理解する
ある意味、ウィーンモダニズムを理解することで世界史の理解、華やかなものも含めた欧米の文化理解も深まります。
欧米人、西洋はよく東洋を研究していますが、日本人はそれに対して西洋人の研究が比較的に少ないのではないでしょうか。
また例えば、EU設立に影響を与えたカレルギー伯爵や、オットー大公もここから出ており、今の世界情勢の枠組みを知る上でも、参考になります。
国際都市ウィーンを再現する
まず、日本においては文化、芸術、音楽、学問などが国際都市としてお互いに混ざり合い、飛躍的な発展を遂げたような経験は歴史上存在していません。
まだ日本は、世界中から人が集まり、様々な文化が入り混じり、何かが生じるという世界観は未知だと思います。だからこそ、そこに新しいイノベーションが起きる機会があると思います。
また、同様にそうした世界的なエスタブリッシュメントのサロン的な交流の場も、日本は持てたことがないのではないでしょうか。
明治維新の際に西洋の雰囲気は導入しましたが、それはあくまで西洋人を真似た日本の雰囲気の日本人のためのサロンに過ぎないでしょう。
ウィーンモダニズム Winner Modern
https://real-int.jp/articles/2229/