ゾルタンポズサー【6】L字型の大不況とスタグフレーションの必要性
前回の記事はこちら
【1】ブレトンウッズ体制3は起きるのか?
https://real-int.jp/articles/1932/
【2】米ドル時代の終焉と人民元時代の到来
https://real-int.jp/articles/1933/
【3】2023年 FXでの勝者と敗者
https://real-int.jp/articles/1934/
【4】2023年 何に投資をすべきか
https://real-int.jp/articles/1936/
【5】世界は新冷戦時代 2023年も60/40には戻らない?
https://real-int.jp/articles/1956/
今回のインフレは周期的なものでなく構造的なもの
ゾルタン・ポズサー(Zoltan Pozsar)氏が「戦争と平和」の次に読むべきとしているのが昨年夏に書かれた「戦争と政策金利」です。その中で彼は、今回のインフレの「質」について語っています。
インフレはウクライナ紛争がきかっけで起きたわけではなく、貿易戦争で既に始まっており、状況を加速化させただけだそうです。
ポズサー氏によると、平和時のインフレは循環的なものです。確かに、半導体にはシリコンサイクルと呼ばれる4年に一度の景気変動があります。同じようにマクロ経済においても、デフレが数年続くとインフレが数年続くというのが、景気循環論です。
それに対して、現在のような第二次冷戦という戦時においては、インフレは構造的であるというのです。
市場では、西側諸国のインフレはもうすぐピークを迎える。そのため、米国では利上げは春に一旦停止され、その後の状況次第では年内の利下げもありうるという楽観論が目立っています。
しかし、ポズサー氏の意見は真逆で、今回のインフレは需要サイドではなく供給サイドから起きている、循環的ではなく構造的なものである。したがって、長期間継続する、地政学リスクが重要となるというのです。
インフレが長期化する構造とは以下の3つです。
- 移民による安価な労働力がトランプ政権による移民対策やブレグジットで
手に入らなくなる - 中国からの安い工業製品はロックダウン(これはもう終了)と米中貿易戦争で
入手できなくなる - ロシアからの安い天然ガスや石油はG7による制裁で手に入らず、
資源だけでなく欧州からの自動車などの高級品も値上がりする
FEDなどの中央銀行が利上げで制御できるのは需要です。人々の購入意欲を下げることです。しかし、移民排斥、保護主義、地政学リスクにより、安価な労働力、製品、資源はもう供給されなくなるのです。
図のように、中央銀行が利上げにより需要曲線を低下させても、供給曲線がそれ以上に下がれば価格は上がる、インフレになるわけです。
出典:Benesse
そして、供給面を決定するのは、透明性のある中央銀行ではなく、不透明な(どう動くか予測できないという意味だと思われます)政治家達です。
確かにポズサー氏の主張するように、日本もオランダと共に米国による中国への最先端半導体の製造装置の輸出制限に協力することになりました。決定したのは日本銀行やECBではなく、政府=政治家です。日本の最大の貿易相手国は、2007年以降、米国に代わり、中国になっています。(税関データより)
中国がビザ制限に続き(解除されるようです)、貿易に関する制裁措置に踏み切った際の日本経済への影響はなぜ論じられていないのでしょうか?ロイターにあるように、2020年に中国に対して新型コロナウイルスの発生源の調査を求めたオーストラリアが昨年12月まで制裁を受けていたのは記憶に新しいところです。
ポズサー氏の主張する中国の安価な製品の輸入が減少するというリスクは、ゆっくりしたものになるでしょう。中国経済もロックダウンや不動産バブルで傷んでいるので、急激な変動は望まないと考えられるからです。
それでも、日本やTHHADを配備に前向きになった韓国に対して両国のスマホや工作機械などの輸出製品へ関税を課すなどの地政学リスクが起きれば、インフレ率は上昇するでしょう。輸出制限に対して韓国銀行や日銀ができることなど何もないですよね?多くのプロたちが拠り所にしている循環論では予測できないインフレです。
https://real-int.jp/articles/1906/
上記の松島社長の記事の冒頭に、激動の時代には「過去の延長線上に未来がない」「プロが確信を持って間違える」「今までの常識が常識ではなくなる」とあります。前回の記事の末尾にあるポズサー氏のトルストイの名言の引用と全く同じことが書かれています。
バイデン大統領が就任して状況は好転するはずだったが…
ここで、少し脱線してしまいますが、バイデン政権について考察してみます。
「アメリカ・ファースト」 を掲げたトランプ元大統領の移民排斥は、ポズサー氏によると200万人もの仕事に影響を与えました。労働力不足と賃金上昇です。これに新型コロナウイルス流行による大規模な早期退職が加わりました。中国製品への関税付加により、米中貿易戦争が始まりました。
バイデン政権の登場により、こうしたインフレへのマイナス要因は取り除かれると期待されていたのです。移民に関しては当初は緩くなりましたが、担当の長官は更迭され、現在は不法移民が強制送還されています。
米中貿易戦争は、日本とオランダを巻き込んだ最先端半導体の輸出禁止へとエスカレートしています。中国の習近平主席のゼロコロナ政策により、グローバル・サプライチェーンは崩壊しました。
プーチン大統領のEUを安いロシアのガスに依存させ欧州を米国の影響下からはずそうという目論見はノードストリーム2への制裁で砕け、ウクライナ侵攻へと繋がったそうです。
その後のバイデン大統領のサウジ訪問によるOPEC増産、中国製品への非関税でインフレを抑えるという外交手段は失敗におわっています。
人道主義に基づきサウジ皇太子のジャーナリスト殺害を公にしたバイデン大統領は王子を侮辱したこととなり、サウジとの関係は一気に冷え込みました。トルコに対してはエルドアン大統領の独裁を批判、カタールを巡って対立していた両国は接近、カタールと湾岸諸国+エジプトとの断交も解消されました。
バイデン大統領の人道主義は、残念なことに、結果的には湾岸諸国とトルコのロシアと中国への接近をもたらしています。さらにインフレ抑圧法案で米国製電気自動車への補助金によりEUとも対立、自国半導体産業への保護法案も合わせると、いつのまにかアメリカ・ファーストになってしまっているのではないでしょうか?
ポズサー氏によると、ウクライナ侵攻後には米国は米ドルを、ロシアはコモディティを武器とし、戦争経済時代に突入しています。主役は中央銀行から政治家へと移り、複雑化しているのです。
中央銀行の役割は、グローバリゼ−ションによるデフレ(上記の賃金、工業製品、資源)との戦いから、経済戦争によるインフレとの戦いに移りました。ゆっくりですが、確実に進んでいるようです。消費する西側と生産する東側との間に戦争が起きたわけです。安い工業製品を提供してくれる中国と資源を届けてくれるロシアとの決別がインフレの長期化という結果をもたらすのは、自明の理のように思えます。
1月27日のBBCニュースによると、ロシアの傭兵組織ワグネルにウクライナの人工衛星画像を提供したという理由で、米国が中国衛星企業に制裁を加えるようです。中国は西側との貿易関係を考慮し、ロシアとは距離を置いていたはずでした。
前々回の記事に書いたように12月に習主席がサウジ訪問後にプーチン大統領との電話会談が予定されたように、西側と決別するとの腹を決めたのでしょうか? WTOが今年の貿易成長率を1%と予測している事実からも、氏の予想通りに東側と西側の貿易は徐々に途絶えていくのでしょう。つまり、構造的なインフレが続いていくわけです。
トランプ大統領が主張しているように、彼が再選されていればウクライナ侵攻も起きず、湾岸諸国の東側への接近も起きず、中国とも宥和政策を行うことで、移民による人件費増を除いた資源と工業製品のインフレは回避できていたのかもしれません。
このように、自国優先主義のトランプ大統領が去ったのですが、なぜかさらなるブロック化が進んでしまっているようです。
パウエル議長はボルカー元議長のようにインフレファイターとなり、大不況を引き起こす!
パウエル議長はかつてのボルカー元議長のようにインフレを抑圧するか、それとも恐慌を引き起こしたという批判を恐れFEDの権威を傷つけてしまうのでしょうか?ポズサー氏によると前者になるようです。
世界のパワー・バランスは軍事力、技術力、生産力の3つによっているそうです。インフレは、さらなるロシアへの経済制裁やコモディティの武器化、最先端半導体輸出制限、フレンドリーショアなどにより、加速化されます。
前回の記事で触れたように、2月からはロシアの原油だけでなく、石油化学製品への制裁が始まります(JETRO記事)。オランダと日本も、半導体製造装置輸出制限に加わります。WTOはフレンドリーショアに警鐘を鳴らしています。まさにポズサー氏の予言どおりの動きとなってきています(この記事が書かれたのは昨年夏です!)
労働市場は強く、食料や資源価格がウクライナ侵攻で上昇している中でも、賃金は上昇しています。FEDは予測でなくデータに依存し、データ次第で変更されるので、ドットプロットは当てにならないそうです。
ポズサー氏によると、ボルカー元議長の時代には、オイルショックに対して石油会社は北海やノルウェー沖、米国での油田開発を行いました。80年代初めにリセッションに加え石油供給増大で石油価格を暴落させたことがボルカー元議長の功績だったそうです。これに、81年にレーガン大統領がストを起こした空港管制官達を解雇、組合を弱体化させて賃金上昇を止めたことが加わり、インフレが鎮圧されたのです。
しかし、現在は当時とは状況が異なるようです。CO2を算出する石化製品を悪とするESG推進で、油田開発はされていません。供給はタイトであり、戦略石油備蓄放出は永遠ではないので、供給不足となるでしょう。
つまり、ボルカー時代と異なり石油価格の鎮圧は難しいわけです。さらに労働市場はタイトで、移民制限と早期大量退職に加え、「少なく働くと豊かだ」と感じる精神性が蔓延しています。レーガン大統領とは反対で、バイデン政権の労働長官はスタバからアマゾンまで組合化を推進しているそうです。
こんな状況でどうしたらインフレがピークを迎えるのか?とポズサー氏は問うています。そして、FEDの利上げは引き締めサイクルにあるわけではない。過剰な安い製品の供給を抑えることで需要を抑え、製品の不足に対応させる、ベルトを締めている構造的な行動だというのです。安い労働力、製品、資源が供給されない状況では、需要をL字型に落とさないと、さらなるインフレが起きるそうです。
リセッションになるとか、ならないとかは、もう関係がないのです。供給曲線の下落が原因ならば、需要を落とす必要があります。
リセッションは必須で、その度合をどうすべきかを議論すべきだと主張しています。インフレは賃金に影響します。パウエル議長はボルカー路線を継承する、つまり、消費者には消費を抑えてもらうことになります。長く、大きなリセッションが必要になるのです。
かつてのカーター大統領が目指したように、倹約をして消費を減らせば、不動産や物のインフレを抑えるだけでなく、サービス部門の労働力の需要も減少するからです。求人数が減ります。「働かないほうが豊かな気分になる」というメンタリティも根絶させることができるでしょう。
ブルームバーグの1月27日のニュースでは、イエレン財務長官が「インフレは鈍化してきているが、まだ労働市場はタイトだ。リセッションのリスクを最小化したくない」と、述べています。英語ですが、字幕付きで、27秒なのでこちらの同タイトルの動画も御覧ください。
ここでマクロ経済を勉強された方ならば、イエレン長官の言っていることが矛盾しており、よく理解できないはずです。FEDの2つの目標は価格の安定(現在はインフレの鎮圧)と完全雇用です。
リセッションが起きると需要が減り、雇用も減り、失業率は上がってしまうからです。私も最初はよく分かりませんでしたが、ポズサー氏のこの論文を何度も読み返しているうちに、ようやく理解できました。
ポズサー氏とイエレン氏が主張しているのは、賃金の上昇によるインフレ持続は好ましくないので、完全雇用よりもインフレを重視するということです。この方針はインフレ率が2%に落ち着くまで続くようです。
調べてみたところ、12月の失業率はまだ3.5%です。そして時事エクイティの12月のFOMC(FEDによる金融政策決定会議)の記事によると、FEDは2023年末時点での失業率の4.6%への上昇は覚悟しているようです。インフレ率の中央値も3.1%であり、目標値とする2%よりは高いです。
こうした環境下では、ポズサー氏によると、今後は、FEDは労働市場やサービスセクターに目を向けるようになるということです。失業率が高くなることが必要だからです。
インフレがピークアウトしたとか、FEDがインフレとの戦いをやめるなどは、市場の願望に過ぎないわけです。インフレも雇用も強すぎるので、どちらも下げる必要があるわけです。市場はソフトランディングを望んでいますが、それではインフレは解決しないのです。
L字型のまずは垂直に落ちる深い不況と、それに続くフラットなインフレ時の景気後退であるスタグフレーションが、インフレ退治には必須だそうです。つまり株などのリスク資産は大きく下落することとなります。
利下げは新たなインフレを呼ぶので、/字型の急回復が起きないと確信できるまでは、政策金利は高止まりせざるを得ないのです。
FEDは痛みを伴うと言っています。これはリセッションを指し、起きることを否定などしていません。
また、高インフレ下でのリセッションが起きても利下げするなどと言っていません。利下げが景気回復を起こさないと確信できるまでは利下げしないと宣言しているのです。
ポズサー氏によると、SEP(FEDによるGDP、CPIなどのマクロ経済指標の予測値)やドットプロット(FEDによる政策金利見通し)に頼っては駄目だそうです。
前者は推計に過ぎず、地政学リスクで変わってしまうからです。後者はフォワード・ガイダンスが昨年7月の2回目の75ポイントの利上げ後に無くなったように、そのうち消えるからだそうです。ブルームバーグによると、サマーズ元財務長官も次回2月1日のFOMC後はヒントを与えないようにと指摘しています。
ターミナルレート(到達点の政策金利)が5%〜6%となり、初めて資産価格が下がるとポズサー氏は予測しています。現在は利上げの最中に50年ぶりのインフレが襲っている異常事態です。最終金利に達した際にも実質金利(政策金利からインフレ率を引いた値)はまだマイナスになるそうです。
つまり、2023年末に最終金利が12月FOMC予想の中央値である5.1%に達すると仮定すると、その際のインフレ率はまだそれ以上だと見ているようです(FOMC予想は上記のように3.1%です)。
ブルームバーグの1月28日のニュースでは、英国のハント財務相がOBR(予算責任局)の年末インフレ率3.8%を疑問視し、5%を超えると発表したようです。これは利上げ中止と年内利下げという市場の予想に反するものです。こうなると、ポンドもユーロ同様に、暫く強いのかもしれません。
まとめ
結論としては、ポズサー氏の主張どおり、地政学リスクにより、インフレや政策金利予想などは簡単に変更されてしまいます。そして、市場が政府よりも楽観論が強いのは、米国だけではないということです。世界金融恐慌後からポズサー氏はG7の財務相・中央銀行のアドバイザーであったわけで、WTO議長、米国元・現財務長官、英国財務相らが氏と似たような意見であるのは、当然といえるのかもしれません。
ボルカー元議長のレガシーをパウエル議長は引き継ぎ、もう後戻りはできないそうです。インフレ退治に全力を尽くし、その結果恐慌が引き起こされ再任されないとしても、FEDの名声を傷つけるよりはマシだからです。前者はバンカーとしての良識であり、後者は生涯引きずる汚点になります。
上記のように、ボルカー時代と異なる経済戦争下という悪条件にあるため、パウエル議長がインフレを退治できるかは分かりません。しかし、全力をつくすことは確かのようです。
上記のイエレン議長のニュースにありましたが、市場の最新調査ではリセッションの確率は65%です。ポズサー氏によると、FED予測の2023年インフレ率中央値である3.2%を2%にするために必須なのが、L字型の大不況+スタグフレーションです。どちらが正しいのかを判断するのは、お任せいたします。
【関連記事】
https://real-int.jp/articles/1906/
https://real-int.jp/articles/1928/