歴史を俯瞰すれば中国の海洋政策が見える
大陸中国の自然国境だった海
現在、中国がその吸収に躍起となっているのが台湾だ。
もちろん、少なくとも今年11月に開催される中国共産党大会が終了し、新たな「習永久独裁政権」が確立されるまでは軍事的に直接、動くことはない。しかし、中国が台湾を「台湾省」として固有の領土と位置づけていることは微動だもしない。
一方、台湾は「中華民国」を名乗り、建前上は孫文の建国した中華民国の継承者を自認もする。現代台湾と中国の歴史は、中国共産党を率いてきた毛沢東と、中国国民党の総統・蒋介石の対立の歴史である。
第2次世界大戦にはじまった国共内戦に、蒋介石は敗れ、台湾にまで落ち延びた。蒋介石は、台湾を根城に中国大陸への反攻を唱えたものの、口先だけで終えた。毛沢東の共産党も、台湾の吸収を主張しながらも、できないままであった。
現在、台湾の軍事力は東アジアのなかでも侮れないレベルにあり、且つ最近の米国からの最新鋭軍用機、船艇、兵器の連続投入は目を見張る。したがって、いかに巨額の軍事予算を投入し続けている中国でも、台湾侵攻作戦を行なうなら、大きな痛手を被るだろう。
仮に局地戦で敗れでもしようものなら、中国共産党政権の威信は大きく揺らぐ。これはウクライナに侵攻し、首都キエフ(キーウ)の短期陥落に失敗したロシア・プーチン体制へのロシア国民のブーイングとはレベルが違う。
その意味で中国にとって、台湾を力ずくで併合するには、極めて緻密な作戦と兵站が必須であり、リスク度は第1級である。
そんな現実が横たわっているにもかかわらず、大陸の共産党政権が台湾領有を声高に叫ぶのは、台湾を東アジアの海洋勢力のなかに入れたくないからだ。
台湾が、海洋勢力である日本、さらに日本に基地を置く米国と完全に連携するなら、中国の東シナ海での攻勢は難しくなる。
そればかりか、海こそ中国にとって最大の脅威ともなるのだ。海の防衛は、長く中国大陸の指導者が苦手としてきた。それは、皮肉なことに古代から中世にかけて長く、東シナ海、南シナ海は中国大陸の自然国境としてあり続けてきたからでもある。
唐帝国の時代、東アジアは海の時代を迎えはじめる。イスラムの商船が中国沿岸にやってくる時代になっても、海からの脅威はなかった。なかったがゆえに、中国大陸の政権には海防の概念がなかったに等しい。
唐・宋といった歴代王朝は、北のモンゴル、北東の満州、西南のチベット相手には苦しんだが、海の広がる東はノーガードでよかった。けれども13世紀末ごろから、東シナ海、南シナ海は自然国境として機能しなくなる。
まずは日本の倭寇が中国大陸を襲いはじめた。さらにモンゴル帝国の時代の末期、塩商人・方国珍が海賊化し、乱を起こしてもいる。中国の海岸部は、倭寇の攻勢を受けはじめたうえに、反乱の温床にもなりはじめていたのだ。
19世紀になると、英・仏など欧州勢力の艦隊が中国大陸沿岸に出没する。英国とのアヘン戦争では、英艦隊は中国の海岸部を次々と急襲した。巨大な陸軍を擁した清朝だったが英艦隊の遊弋、襲撃を止める手立てはなかった。海からなら、備えの薄い陸地をいくらでも急襲できた。
アヘン戦争下、清帝国の統治者たちは、英海軍による海上封鎖の恐ろしさも経験した。英国の軍艦は長江を遡航し、鎮江を奪った。鎮江は、長江と黄河を結ぶ大運河の長江側の入り口である。
ここを占拠されたら江南の食糧や物資は北京に届かなくなる。清の宮廷はこれに恐怖し、英国側の突きつけた条件を呑む形で休戦条約を結ぶしかなかった。
1894年からの日清戦争、1904年からの日露戦争を経たのち、東アジア海域の制海権を握ったのは日本だった。清朝の海軍は日清戦争で惨敗したため、もはや日本海軍を食い止める手立てを失っていた。
1937年から始まる日中戦争にあって、日本が攻勢一辺倒になれたのも、中国の海防がまったくなかったからだ。日本海軍は上海沖に空母まで遊弋させ、日本からの軍事輸送船は続々と中国大陸にわたっていた。
中国は、これに為す術を知らなかった。このように、中国大陸の指導者には海からの脅威に対しての苦い記憶が残っている。
ゆえに海からの脅威を恐れ、台湾問題にことさらに神経質になっているのである。
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(この記事は 2022年7月10日に書かれたものです)
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