久方ぶりの良心的NHKスペシャル
NHKの光と影
冒頭でNHK(日本放送協会)とは何かについて最低限の説明をしておきたい。
NHKというのは「公共放送」であり、放送法により電波受像機を持つ人から集めた受信料で成り立つ「特殊法人」である。決して日本の「国営放送」ではない。
国家からお金(税金)が出ているわけではなく、あくまでも「受信料が支えるみんなの放送」という位置づけなのである。
したがって職員は公務員ではなく、特殊法人の職員ということになる。公務員に存在する国籍条項なども存在しない。公の存在ではあるが、国営ではなく、民間でもない。
そのくせ、税金のように国民から強制的に金をとる。あえて言えば「吸血コウモリ」のような存在がNHKなのである。
NHKは自らの立場を以下の通りに説明している。NHKは、全国にあまねく放送を普及させ、豊かで良い番組による放送を行うことなどを目的として、放送法の規定により設立された法人です。
いわゆる特殊法人とされていますが、NHKの行っている「公共放送」という仕事は、政府の仕事を代行しているわけではありません。「国営放送」でも「半官半民」でもありません。
放送法は、NHKがその使命を他社、特に政府からの干渉を受けることもなく自主的に達成できるよう、基本事項を定めています。
その特徴は、NHKの仕事と仕組みについてNHKの自主性がきわめて入念に保障されていることです。NHKが自主性を保っていくためには、財政の自立を必要としますが、それを実現しているのが受信料制度です。
NHKの運営財源は、すべての視聴者のみなさまに公平に負担していただくように放送法で定められています。政府のほか、財界などいかなる団体の出資も受けていません。(政府から支出されているのは、政見放送の実費や国際放送の一部の実施経費のみです)
受信料制度によって財政面での自主性が保障されているからこそ、NHKは、視聴者のみなさまの要望に応えることを最大の指針として放送を行うことができます。
だが、NHKの行動実態はあまりに、この説明と乖離していて、政府の介入受け入れや事実と、異なった番組制作などは、これまで数多く指摘されてきたし、局内人事も明らかに不当と思われる事例が多々ある。
ただ、番組制作側には、しっかりと強硬性に根付き、且つ未来志向型の良心的で緻密な番組をつくる方々が存在していることも事実であり、NHKの存在自体を全否定するところまで腐敗していないことを、ここにお伝えしたい。
NHKの原点に立った秀作
2021年12月で太平洋戦争の開戦からちょうど80年を迎えた。すでに日中戦争が泥沼化していたこの国が、さらに暗黒の時代を迎えることになる、一つの節目だ。
その当時の様子を克明に振り返って検証する大型番組が、NHKで放送され始めた。NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」シリーズである。
「新」と付けられているのは、同じNHKスペシャルで29年前に「ドキュメント太平洋戦争」(筆者もDVD化して保有している)という連続企画が放送されていたことによる。
今回は「エゴドキュメント」として、当時の人々(政府や軍部の要職にあった歴史上の人物から、都会や農村でつましく暮らしていた市井の一般人ら)が書き残した日記などに遺された膨大な言葉をAIで解析し、「個人の視点から歴史のうねりを追体験していく」というものだ。
全国の約6百カ所でそのような日記を探し出して、約12万件ものデータを収集。630万の単語をジャンルごとに分類して、現代のSNS分析の手法を利用して視覚化するという壮大な企画だ。
民法では及びもつかない、NHKならではの大型企画と言える。番組は「1941 第1回 開戦」が前編・後編と二夜連続で12月4日・5日に放送された。
番組では、当時の人々の日記が豊富に紹介され、松重豊、國村隼、橋本愛、豊川悦司、西島秀俊といった名優たちが、淡々と日記の文章を朗読していく。また、残されている当時のモノクロの映像に、一部カラーをつける演出も施されている。
まず、開戦の一年前、1940年の日本の様子から。戦争とは程遠い暮らしぶりで、アメリカ文化へのあこがれが日記に書かれ、音楽もハワイアンやジャズが流行していた。
しかし、3年に及ぶ日中戦争が次第に人々の生活を圧迫し、食糧税制が敷かれるようになる。日記の記述にも「代用米」や「配給」などのワードが増えてくるようになり、市民のぜいたくが禁止され、敵視されていく。
40年9月に日独伊三国同盟が締結されると、アメリカに代わってドイツへの関心が高まるようになる。
一方で、政府は言論統制を行って、三国同盟への批判的な論調や、アメリカへの敵性勘定をあおる表現を禁止する。これにより、三国同盟締結当時は人々の戦争への関心が薄らいでいたという。
ドイツへの接近の一方で日米親善をことさらに強調するという、相矛盾する宣伝政策が取られていたのだった。
政府や軍部の一部では、日米戦争を回避するような努力していたが、米国は三国同盟に反発し、対日世論が高まって日本への経済制裁が次々と決まる。
日本は、たちまち物資不足が深刻化することになり、経済が冷え込んでいく。人々の日記に見る「物資不足」のキーワードは41年以降増加し、併せて戦争に関する単語数も増加する。
米国との戦争が避けられないという国民感情が次第に高まっていった。徳富 蘇峰(とくとみ そほう)などの著名人が日米戦争に言及するというマスコミの問題もあった。
軍部の参謀本部のシミュレーションでは、対米英戦は予想以上に危険で、やるべきではないとの判断に達したという。指導者の本音としては戦争回避であり、東条英機陸軍大臣も当初は日米戦争を回避すべきと考えていた。
それが変化するのは41年6月の独ソ開戦で、ソ連の脅威が薄れたと考えた指導者たちの判断で日本軍は南部仏印に進駐する。
これがさらに米国を刺激して、ついに米国は日本へ石油禁輸の措置に出る。石油のほとんどを米国からの輸入に頼ってきた日本にとって想定外の大打撃で、これによって慎重派だった海軍も態度を変え、「いま戦うのが有利」という考えに傾いていく。
物資不足で国民の生活はさらに困難に陥り、日記には国に協力する内容のワードが増える。政府ではなく英米が経済的に日本国民を圧迫しているということで人々に受け入れられていた。
日本はすでに中国との戦争で犠牲者が18万人以上に上っており、膨大な犠牲に縛られていた日本陸軍は「みすみす撤退するのは忍び難い」と、米国からの撤兵要求を拒否。これで日本の外交努力も限界を迎えた。
窮乏生活を強いられていた人々の多くは、やがて開戦がうっ屈を晴らしてくれると信じるようになる。開戦を迎えた時の女性の日記の記述「血沸き肉躍る思いにいっぱいになる」という一節に、悲壮感が漂う。
大量虐殺や性暴力などの戦争犯罪も放送
後編は、戦場に出た兵士の日記などから、当時の現実を見つめる。戦争に参加した元兵士たちの証言も盛り込まれている。真珠湾攻撃と、東南アジアの戦線がその舞台だ。
日中戦争が4年に及び、日本は中国を支える米英との対立に深めていた。米国は日本への経済制裁を重ねた末、石油の前面禁輸に踏み切る。
そこで日本は豊富な天然資源を擁する東南アジアへの進出をもくろむことになるが、そこには米英の軍事的拠点があり、攻撃すればハワイから援軍が来ることは必至だった。
そこで、日本は南方への進出と同時にハワイを叩く作戦に出る。それが真珠湾攻撃だった。
米国は敵機の来襲をレーダーで捉えながらも、自軍の演習と勘違いして見過ごす。(米国による陰謀説が一部にあるが、検証済の間違い)日本軍の徹底した攻撃で米軍の多くの艦船や軍事施設が被害を受け(但し、艦船の多くは修理の上、再び航行復帰した)、米兵中心に2千名以上が命を落とした。
米国側には、真珠湾攻撃の一報が入った後、日本から外交交渉打ち切りの通告分が届けられた。日本は攻撃の前に通告する予定だったが、不手際が重なり通告が遅れた。これが米国の対日感情を爆発させる要因にもなった。
国内世論に配慮して第二次世界大戦への参戦を躊躇してきた米国を参戦させる契機を、日本が作ってしまった。
初戦の圧勝に沸いた日本国民。「この時に生まれ合わせたことは、とても幸福なことであると思う」という国民学校生の日記の記述は、当時の国民感情を代表するものだっただろう。
華々しい戦果が報じられる陰で、真珠湾で水中からの攻撃を担っていた潜水艦部隊の、二人乗りの特殊潜航艇5隻はすべて帰還しなかった。また、日本軍機の搭乗員55人が、米軍の反撃によって命を落とした。
特殊潜航艇5隻の乗員10人のうち1人が米国の捕虜となったが、この1人を除いた9人が「九軍神」としてメディアで崇め奉られることになる。この辺りも、政府による巧みな情報操作が行き届いていた印象を受ける。
太平洋戦争開戦の理由としては、当初は「自存自衛」ということが掲げられていたが、そのうち「大東亜共栄圏」構想が台頭してくることになる。
「最低限の戦争目的を規定しておかなければ、和平が出来にくくなる」と、考えていた軍人もいたが、結局、指導者たちが改選の前後で戦争の目的を変質させたことで、日本は早期和平の糸口を見失い、泥沼の戦争に突入していくことになった。
すでに日本国内では、開戦前から食糧不足に悩まされていた。戦争によって輸入が途絶え、日本国内の人々はもちろん、戦争の前線や占領地での食糧補給が厳しくなるのは目に見えていたことだが、日本の指導者たちも開戦前からこのことに気づいていた。
そして「占領軍の現地自活のためには、民主に重圧を与えても、これを忍ばしめる」との規定を設けることになる。前線の軍隊は食糧などの補給を敵軍や現地住民から略奪することで賄え、ということだ。
これが軍紀を乱すことになり、「大東亜共栄圏」構想も空疎なものにして、大量虐殺や性暴力など数々の戦争犯罪の引き金となっていく。
政府の言論統制と世論
2つの番組を視聴して、改めて理解できたことがいくつかあった。戦争の影は静かに少しずつ忍び寄ってくるが、多くの人が気づいた頃にはもう引き返せないところまで来てしまうこと。
物資が不足する中で戦争を起こしたために開戦当初から補給の現地調達など無謀な作戦に出ざるを得なかったこと。そして政府の言論統制によって世論がたやすく左右されてしまうことだ。
どの点も現在も全く同様に通じることである。特に言論統制については日本の状況が深刻なレベルまで受透している。
その下手人の一角たるNHK自身が番組で伝えているとは違和感そのものだが、局内の良心派が明白に存在していると解釈したい。
NHKには「ラジオ深夜便」(午後11時台~翌朝5時)なる極めて良心的で且つ素晴らしい番組がいくつかある。まだ局内すべてが言論統制下に置かれているわけでもなさそうだ。今後も期待したい。
本記事は、「イーグルフライ」掲示板に掲載されています。
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(この記事は 2022年1月11日に書かれたものです)