タリバンと米国の密約
★★★上級者向け記事
タリバンとは一体、何だ
8月15日、アフガニスタン政府(ガニ政権)が崩壊し、タリバン反対武装勢力が大統領府を掌握した。
ガニ大統領は巨額のドル紙幣を積んでチャーター機で家族とともに、UAE(アラブ首長国連邦)のカタールに逃亡した。
腐敗的汚職と攻争に明け暮れしてきた政権が崩壊したこと自体はアフガン国民の多くが支持したものの、代わりにタリバンというイスラム(スンニ派)原理主義組織が支配するとなると、直ちに極度の拘束的言行と厳しい監視生活を強いられることになるわけで、8月16日以降は国境を越える「民族大移動」が始まった。
この動きは米国の駐留軍撤退の加速と連動しており、明らかにタリバンと米国による合意のもとでのこと。
米国バイデン政権としては様々な戦略を含んだ上でのタリバン勢力の利用であり、タリバン勢力としては20年ぶりに地政学上の最大数の国を支配するという、歴史的成果を米国という超大国の覇権国家から容認されたということになる。
この先の展開は、パキスタン、インド、中国、ロシア、イラン、トルコ、イスラム諸国などが激しく入り交じって動乱の時系列に突入していくのは間違いない。
当レポートは、急展開したときごとに解説していくが、まずは「タリバン」について記しておかねばなるまい。この勢力の性格と経緯を理解していないと何が何だか、皆目、わからないままになる…
1992年4月(アフガニスタンに進攻していたソ連は1989年のソ連崩壊とともに完全撤退)に、旧ソ連が主導してきたナジブラ共産党政権が崩壊して以来、アフガニスタンでは、ムジャヒディン(イスラムの聖なる戦士たち)勢力同士による内戦が継統していたが、94年7月に誕生し、アフガン南部で急速に勢力を伸長させたイスラム勢力=タリバンによって、96年9月にタジク人の組織であるイスラム協会のラバニ大統領の政権は、首都カブールからの撤退を余儀なくされ、事実上崩壊する。
その後、タリバンによる暫定政権にあくまで抵抗する前政権派と北部六州を支配するウズベク人勢力、また中部高知に拠点をおくシーア派のイスラム統一党による三派連合が成立し、タリバンに軍事的に対抗していくことになった。
タリバンの指導者は、パキスタンのアフガン難民キャンプで育ち、パキスタンのスンニ派の神学校で学んだ若い世代のアフガニスタン人や、またパキスタンのパシュトゥン人たちをも含む組織である。
タリバンが、そのメンバーを募ったパキスタンの神学校は、パキスタンの「イスラム聖職者協会」というイスラム政治運動組織と関連がある。
また、タリバンは94年に設立されて以来、従来アフガン・ムジャヒディン各派を構成していたメンバーも吸収した。
タリバンの出現には、元々中央アジアへの陸路貿易の可能性を開きたいパキスタンの意向が、色濃く反映されている。このタリバンを手段として用いるパキスタンの方策は、ブット政権時の内相が考案したものであるとされている。
つまり、タリバンによる軍事力でアフガン内の通商ルートを支配するとするもの。
タリバンは、その支配地域において厳格なイスラムの原理による統治を開始し、従来アフガンのムジャヒディン各派が行っていた「通行税」を強要するチェックポイントを廃止したり、賄賂の慣習も否定した。
こうしたタリバンの行動は、米国の信頼を得たことも確かである。
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(この記事は 2021年8月22日に書かれたものです)
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