ECB戦略検証の深い意味
★★★上級者向け記事
帰属家賃を物価指標に盛り込み
ECBは、2003年以来となる金融政策に関する戦略点検を終え、7月8日にその結果をベースとした「ECB新戦略」を発表した。今後のユーロ通貨の動向を予測する上で、この概要を理解しておくことは必要不可欠である。
ECB条約で定められたECBの主たる責務は、ユーロ圏の物価安定を維持することであり、今回の新戦略では、この点に変更はない。また、参照する物価指標も従来同様に、ユーロ圏の統一基準消費者物価(HICP)とすることを決定した。
個人消費デフレータ、変動の大きいエネルギー・食料品などを除いたスコア指数、上昇率・下落率の高い品目を除外する刈り込み平均なども採用しない。
ただ、住宅価格が個人の購買力や体感物価に与える影響を考慮し、将来的には住宅価格の帰属計算(持ち家を賃貸する場合に得られるであろう家賃)を含むHICPを参考物価に採用する方針を示唆。
現在、帰属家賃を含む消費者物価を計測・公表している国は、ユーロ圏の一部に限られ、四半期毎にしか公表されていないケースも多く、包括的かつタイムリーな物価捕捉が難しい。
EUや各国の統計機関とも協議し、住宅価格の帰属計算を物価指標に盛り込むことを提案しており、各国で十分なデータが揃った段階で参照指標を切り替える方針を示唆している。データが出揃うまでの間は、帰属家賃を含む物価指標の暫定的な集計・推計データを、金融政策を判断する際の補足的な物価指標とする。
物価安定の定義を2%に変更
ECBは従来、ユーロ圏のHICPが2%を下回るが、2%に近い水準を中期的な物価安定の定義としてきたが、これを「2%」に改め、一時的に2%を超過することを許容する形に変更する。
そもそも多くの国・地域の中央銀行がゼロ%ではなく2%を物価安定の目標値にしているのは、物価指数に統計作成上の上方バイアス(基準年の費目構成に比べて値引き品の購入割合が増えるため、実際のインフレ率よりも高く算出されやすい)があることや、政策金利の引き下げ余地を確保するためとされている。
インフレ時代に作られた従来のECBの物価安定の定義は、2%がECBが許容する物価の天井であるとの印象を与え、物価の低位安定につながっていた。だが、ユーロ圏のインフレ率は原油高などによる一時的な上振れを除けば、ほぼ一貫して2%を下回ってきた。
実質均衡金利(経済成長が均衡する実質金利)が低下し、政策金利が下限に近づいているディスインフレの時代に、従来の物価安定の定義がそぐわなくなっていた。
ECBは新たな2%の物価目標へのコミットメントが「対称的」であるとし、「2%からの上方への逸脱も下方への逸脱も、いずれも同程度に好ましくない」と、説明している。
これは米FRBが採用する平均インフレ目標(一定期間インフレ率が2%を上回ることを許容し、中期的に平均2%程度のインフレ率を目指す)ほど明確に物価の一時的な上振れを容認するものではないが、常時2%のインフレ率達成が現実的でない以上、一時的な上振れを容認するものという意味を推測できる。
とりわけ、名目金利が実効的な下限に近い場合、物価目標からの下方乖離が定着するのを避けるためには、強力かつ持続的な金融政策措置が必要となるし、一時的な物価目標超過を容認することを示唆している。
ECB改革は市民との対話も
ECBは、従来と同様に、政策金利を主たる政策手段と位置づける。
加えて、金利の下げ余地が限界に近い状況下では、非常時対応として導入してきたフォワード・ガイダンス(金融政策の行動指針)、資産買い入れ(量的緩和)、長期資金供給オペ(LTORO)についても、引き続き政策手段として採用する。
今後も物価安定の達成に必要な場合、新たな政策ツールを柔軟に採用する可能性があることも示唆している。また、ECBはこれまでの金融政策運営を判断するうえで、経済情勢に関する分析と、金融情勢・金融システムに関する分析を別々に行ってきた。
毎回の理事会ではマクロ調査担当の理事(チーフエコノミスト)が、経済情勢に関する分析・評価を、金融調整担当の理事が、金融情勢・金融システムに関する分析・評価を行い、声明文や議事要旨でも別々に言及されていた。
マクロと金融の相互連関性の高まりを反映し、今後は両者を一体的に分析する形に改め、声明文や議事要旨の体裁も変更する。さらに、金融政策やECBに対する一般市民の理解と信頼を深めることも重視するとしている。
金融専門家以外の幅広い市民との対話を強化する観点から、声明文、理事会後の記者会見、月報、議事要旨の内容を見直し、一般市民を対象とする平易な表現やビジュアル化した資料で補完する。
一般市民からの意見聴取、イベントも継続的に開催する。そして金融政策に関する戦略検証も定期的に行い、次のレビューは2025年を予定している。
22日のECB理事会に注目
ECBは今回の戦略検証の内容を7月22日の次回ECB理事会から反映するとしている。
中期的な物価安定の定義見直しを受け、フォワード・ガイダンスが見直され、声明文のスタイル変更や簡素化も予想される。
対称的な2%の物価目標採用により、今後も長期間にわたって、緩和的な金融環境を維持する方針が強化されることになろう。
他方で、住宅価格や家賃は一般物価よりも上昇ペースが速く、帰属家賃の採用により、消費者物価の上昇率は従来よりも、やや押し上げられる可能性が高い(0.2~0.3%ポイント程度押し上げとの試算が多い)。
正式採用はまだ先だが、この点は物価の目標と実績の乖離を埋める要因となる。今回の戦略検証ではコロナ禍で大幅に強化した金融緩和策の出口戦略に関するヒントは得られなかった。
各政策ツールの効果や副作用に関する踏み込んだ言及はなく、来年3月末に期限を迎えるPEPP(パンデミック緊急資産買い入れプログラム)の継続・終了・別のプログラムへの継承の可能性を示唆する発言もなかった。
この点は、今後の理事会での具体的な討議の結果を待たなければならない。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より抜粋しています。
(この記事は 2021年7月14日に書かれたものです)