FRBも予測不能なモノ、ヒトのボトルネック
★★★上級者向け記事
高圧経済政策をビルトイン
昨年8月から導入された新たな米金融政策の枠組みには、インフレの兆候が見られない限り雇用の最大化を追求するという点で、高圧経済の考え方が組み込まれていることは、当リポートでも昨年秋の段階で言及したことを覚えている。
高圧経済とは、端的に言えば、労働需給が逼迫する強い経済環境を指し、その結果もたらされる社会的恩恵に関心が向けられる。
社会的恩恵とは、
(1)高圧経済は、失業者を吸収するだけでなく低圧経済下で失業を回避するために甘んじて受け入れたパートタイム労働からフルタイム労働への労働者の移動をもたらす。
(2)社会階層のモビリティを生む、よりグレードの高い仕事に就く機会や、女性・若者の採用機会が増える。
(3)一般的に高圧経済下では労働者のスキル格差と産業間賃金格差が広がるとされているが、実際のデータでは縮小させるというもの。
一方で、高圧経済に対しては、深刻なインフレを招くとの批判も絶えない。しかし、1990年代やリーマンショック以降も、高圧経済は社会的恩恵をもたらすだけでインフレ率は低位に推移した。
特にコロナ前の米国史上最長となった景気拡大期では、失業率がいわゆる自然失業率(理論的に最大雇用となる失業率)を下回っても、労働市場はインフレ圧力を生まなかった。
FOMCが2%のインフレ目標を定めた2012年1月以降に焦点を当ててみると、ほとんどの期間を通じてコアインフレ率は2%を下回り続けた。
しかも、従来、景気拡大から取り残されることが多かった家庭やコミュニティに、多くの恩恵や機会がもとらされた。
こうした結果をもとに2020年8月に導入された新たな金融政策の枠組みでは、FRBに課せられた使命の一つである最大雇用水準について、「最大雇用水準とは、広範かつ包摂的目標である」と定められた。
新たに付け加えられた広範かつ包摂的という概念が、恵まれない労働者グループへの配慮を指すことは言うまでもない。
さらにFRBが雇用情勢を判断する際、従来は自然失業率を念頭に置き、実際の失業率と自然失業率との乖離度合いに注目してきたものから、新たな枠組みでは最大雇用水準に対する未充足度(例えば、年収層別や性別、人種別での格差度合い)に注目するように変更された。
つまり、FRBは自然失業率という考え方を捨て、望ましくないインフレの兆候が見られない限り雇用の最大化に努めることにしたのである。
市場参加者や民間エコノミストの多くは、ここを軽視しているか、見落としている。
モノのボトルネック
ただ、高圧経済をビルトインしたFRBにとって、コロナ禍と巨額財政支援がもたらした、「モノのボトルネック」によるインフレ圧力の高まりは難しい判断を要求される。
ボトルネックに伴うインフレ率の高まりが一時的に留まるのかどうか、物価指数によって実際に確認できるまでには時間を要する。その間、果たしてFRBは金融緩和解除の誘惑に勝てるのか、忍耐強さが試されている。
FRBは20年9月のFOMCで、金利政策の継続期間について、「雇用情勢が最大雇用水準に到達し、インフレ率が2%に上昇し、かつしばらくの間、緩やかに2%を上回る軌道に乗るまで」と定めたが、同年12月のFOMCでは現行ペースでの資産購入の継続期間についても、「最大雇用と物価安定の目標に向けて大幅なさらなる進展がみられるまで」と定めた。
表面的には、FRBの政策目標に近づいているのは雇用よりも物価である。FRBが重視しているPCE(個人消費支出)デフレーター(PCED)でのインフレ率は、この3月時点で前年比+2.3%となり、2018年10月以来初めて2%を超えた。コアPCEDも同+1.8%まで回復した。
4月以降もしばらくの間、昨年のディスインフレの反動(ベース効果)によって、インフレ率は上昇・高止まりする公算が大きい。
ベース効果だけならインフレ率は恐らく秋口以降に落ち着くはずだが、実は不確実性を増す要因となっているのが、旺盛な需要に供給が追い付かないボトルネック問題である。
需要面では、巨額財政支援とEコマースの活用、歴史的低金利と感染防止・リモートワーク需要に伴う持ち家ブーム等によって、耐久財や建材・内装品などの需要が急増している。
先行きについても伝統的インフラ投資を柱の一つとする、バイデン政権の米国雇用プランが巨大な需要要因として控えている。
国際的にも、資源浪費型の中国経済の早期回復の影響や、気候変動対策・脱炭素への世界的な取り組みの進展などを背景に、各種のコモディティ価格が急上昇している。
一方供給面ではコロナ禍によって国際物流網の正常化が遅れており、世界中でコンテナ不足が続いている。寡占化が進んできた半導体セクターでは自動車産業向けを中心に、品不足が深刻化しているとの見方もある。
さらに米国では、石化産業の中心であるテキサス州が記録的寒波に見舞われたり、最近ではサイバー攻撃で米国最大級の石油パイプラインが一時、送油ストップとなるなど、非コロナ要因がボトルネックの問題の見通しを一段と不透明なものにしていると、評するエコノミスとも少なくない。
確かにボトルネック問題は、米国のPPI(生産者物価指数)を大きく押し上げている。生産段階別にみると、原材料、中間財・部品、最終財に関する各PPIの上昇率は、今年3月時点で前年比+42%、13%、6%といずれも急上昇している。
こうした上流部門のインフレ圧力によって、PCED上昇率はどれだけ高まるのか。セントルイス連銀の係数によると「今後12カ月以内に2.5%を超える確率」は、3月の21%から4月には61%に急上昇するという。
また、FRBの「共通インフレ期待指数(CIE)」によると、今年1-3月期のCIEは2.01%となり、2014年10-12月期以来の高さに回復したという。FRBとして、インフレ率の上振れは「現時点で様子見」というほかない。
3月FOMCで公表されたメンバーの経済見通し(SEP)では、今年10-12月期時点のインフレ率とコアインフレ率(PCEDベース、予測中央値)は、それぞれ+2.4%、+2.2%であった。
パウエルFRB議長は、4月FOMC後の記者会見で、「今年のインフレ率が2%を一時的に超えることがあっても、それがフォワードガイダンスを満たすものにはならない」と述べている。
また「4,5月のインフレ率はベースライン効果でヘッドラインが1%ポイント、コアが0.7%ポイント押し上げられるだろうが、それは一時的」と述べると共に、「ボトルネックは本質的に一時的であり、いずれ解消するものであるため、金融政策の変更を必要とはしない」とまで言い切っている。
米金融政策上、物価動向が意味のある情報を持つようになるのは、今年後半から来年にかけてである。したがってモノのボトルネックインフレの収束を含め、先々のインフレ率動向を見極める時期が今であるはずがない。
4月9日、FRBクラリダ副議長は「インフレ率の高まりが一時的でないという判断は、どうやって下すのか」との問いに対し、「最も単純な答えは、2021年末になってもインフレ率が年央の水準から下がらないことだ。22年になってもボトルネックが続いているようなら、政策判断の考慮に入れる必要がある」と答えた。
FRBは今年3月のSEPに示された見通しに沿って経済が動いているのかどうか、実績を通じて判断していく方針を繰り返し強調している。
予測に基づき予防的動くことは理論的に望ましいとしても、実際にはインフレ目標未達に終わったという苦い経験があるためだ。
ゆえにFRBはインフレ圧力の高まりに注意を払いつつも、今後のSEP(6月、9月、12月)の上方修正に対しても冷静さを保つ必要がある。
ヒトのボトルネックは難題
実はFRBが最も見通し難と考えているのは高圧経済に程遠い状況下での、「ヒトのボトルネック」に直面したことである。
要因は明らかに「失保給付上乗せ」と「ワクチン接種動向」にある。前者については延長策が打たれない限り遅くともレイバーデー(9月6日)後はなくなる。一方、ワクチン接種動向に関しては、ワクチン接種を拒む人々の存在が鍵になりそうだ。
米国経済、社会がワクチン忌避者をどの程度受け入れられるのか、その受容度が、米労働者市場のコロナ禍からの脱却の成否を左右する。4月の雇用統計で雇用者数はコロナ前の昨年2月と比べ、まだ8百万以上減少している。
労働参加率も1.6%ポイント、就業率3.2%ポイント低下している。特に昨年10月以降、雇用改善の足取りが鈍っている。その背景の一つに、寛大な失業給付がある。週300ドルの追加給付がレイバーデーまで継続されることになった。
それだけ上乗せされると年収ベースで3万ドル台となり、わざわざ低賃金での再就職を希望する失業者はいない。
企業側はパンデミックのピークアウトと共に求人を増やすがミスマッチ(就労希望者の保有するスキルと求人側の求めるスキルのずれ)も含め、雇用増に結びつきにくい。
企業側は人手不足を既存労働者の長時間労働でカバーしているが、間もなく限界が近づくとなると賃金アップで雇用につなげるしかない。
しかし、バイデン政権は大幅な法人増税を実施する段取りにあり収益に著しく影響するゆえ、判断は難しい。つまり、レイバーデーの9月までは雇用者数の伸びが鈍いままとなる可能性がある。
一方、ワクチン忌避者の存在も難しい。ワクチン接種者が増えるほど、企業は感染防止の余計なコストをかけずに事業活動を行えるようになるが、ワクチン忌避の労働者が残存する限り、安全な雇用環境を他の労働者に提供したり、安全な顧客サービスを提供したりするためのコスト負担が続くことになる。
米商務省のデータでは、3月下旬時点で就労していない18歳以上の人の人数は1億200万人。そのうちワクチン未接種者は約5100万人と半数にものぼり、727万人はワクチン未接種の理由として、「ワクチン接種の副反応を懸念している」と答えているが、1千万人超の不法移民が、どの様な扱いになっているのかもわかっていない。
雇用正常化に至るプロセスでは、このように2つの「ヒトのボトルネック」が、横たわっているのである。
結論として、今後のFRBが100%正しい金融政策運用を実施していけるかは、これだけの変数が在存しているだけに定かではない。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より抜粋しています。
(この記事は 2021年5月16日に書かれたものです)