米国長期金利上昇・テーパリング論
イエレンFRB時代の高圧経済策
米国市場(株・債券・外為)が過去最大の過剰流動性をベースとして動いていることは誰も否定しない。一方、そうであればあるほど、その流動性が縮小し始めることに対し、強いリスク感を膨らませていくのは止むを得ないことである。
ただ、足下での長期金利上昇から一気にテーパリング(FRBの資産購入縮小)や、利上げ時期の予測につなげる一部のアナリスト・エコノミストの見方は、あまりに平面的な分析でしかない。
正確な見通しのルーツとして最も柱となるのはFRBイエレン体制から、現パウエル体制へと引き継がれた「高圧経済」(high-pressure economy)論の進化プロセスであろう。財務長官指名承認公聴会(1月19日上院)で、イエレン前FRB議長は財政政策について次の様に見解を述べた。
大規模な経済対策で債務は増大するものの、歴史的な低金利環境にあり、財政面の余裕はある。
大きな行動にでることが最も賢明であり、長期的には経済対策の恩恵は代償を大きく上回る。
富裕層が資産を蓄積する一方で、労働者層の家計は一段と悪化した。
税逃れも指摘される企業と富裕層に対し、公平に税を負担させることが重要だ。
バイデン氏が公的に掲げるインフラ投資や研究開発支援などを実施する際の財源としていずれ必要になる。
しかし、当面はウィルス感染拡大抑制と経済の回復が優先される。
増税は長期的に検討していく
この見解は、2016年10月にイエレンFRB議長(当時)が提唱した「高圧経済」論以降のFRBの行動という視点から捉えると、非常に大きな意味がある。つまり、今後の「FRB・財務省」の一体化政策が見えているのである。
「高圧経済」とは、簡単に言うと必要以上の金融緩和(資金供給)によって、労働参加率の上昇や、生産性引き上げ努力など、供給サイドの望ましい変化を誘い、成長力(潜在成長率)が強化されていく、という理論である。
しかし、イエレンFRBは、その2ヵ月後にしばらく中断していた利上げを再開し、そこから2年間で、2%ポイントも政策金利を引き上げた。ただ、その間にも失業率は、FRBが完全雇用とみなしていた水準(4.5%)を下回り続けたし、金利は2年間の利上げ後もFRBが中立(緩和でも引き締めでもない)と認識していた水準をなお下回っていた。
つまり、FRBの認識では「緩和的な金融政策で労働需給がタイトな状態を持続」させていたのであり、あくまでも高圧経済を念頭に置いた、政策運営だったとも言える。それでも利上げで緩和の度合いをかなり縮小させた以上、思い切った高圧経済政策だったとは言えない。FRBの当時のそうした慎重さの背景には、高圧経済政策には問題点もあるとの判断があった。
2016年10月のイエレン「高圧経済論」では、次の三点が指摘されている。
- 高圧経済と潜在成長率の関係は十分にわかっていない
- バブルなど金融面の不均衡を引き起こすリスクがある
- インフレが想定外に上がってしまうリスクがある
このうち、インフレが想定外に上がってしまうリスクは杞憂であった。失業率が低い割にインフレは意外なほど落ち着いたままであった。第四次産業革命が主因と思うも、利上げをやり過ぎていてFRBが認識していたほどの高圧経済を作り出せていなかった面もあろう。
FRBが経済の「圧力」を測るために用いた尺度、すなわち完全雇用とみなしうる失業率の水準や中立金利水準などは、あくまで推計値であって、「ほどよい高圧」を正確に狙うには、まだ精度が不足していたのである。
「高圧経済政策2・0」への道筋
そうした経験を踏まえてFRBは、2020年8月に新たな戦略を打ち出した。
その柱は、
- 最大雇用を徹底的に追及する
- 局面によっては2%超のインフレも目指す
の二つである。
いずれも近年の経済構造(第四次産業革命)の下ではインフレは上がりにくい、という教訓を土台にしたものである。この極めて緩和バイアスの強いルールが以前から適用されていれば、
2015年末に始まり2016年末から本格化した前述の利上げは、ほとんど行われなかったかもしれない。
ところでFRBは、この新戦略について、かつての高圧経済論の強化との説明は一切していない。2016年と最近ではFRBが直面する課題の性格が異なるからである。2016年の米国経済論壇を賑わせていたテーマは、金融危機後の経済成長の鈍さであった。サマーズ教授(元財務長官)らは、貯蓄投資バランスに着目して長期停滞論を唱えていた。
GAFAの躍進にもかかわらず、経済全体の生産性上昇率がむしろ低下していた事実を巡っても、
統計に問題がある可能性を含め様々な議論がなされていた。一方、FRB自身は「物価の安定」「最大雇用」という二つの責務について達成の手ごたえを感じつつあった。だからこそ継続的な利上げを進めていったのである。
しかしその後、インフレが思ったようには上がらないまま、米中対立などから景気にも黄信号が灯る。インフレが恒常的に目標を下回る「日本化」のリスクも頭の隅に置かざるをえない状況になった。また、トランプ政権下で米国社会の分断が進み、格差社会とどう向き合うかはFRBにとっても重みを増した。
もともと金融緩和に対しては、投資家や富裕層を儲けさせるばかりで、庶民との格差を助長するという批判が強い。新戦略の検討を始めた2019年、FRBは「物価の安定」に以前ほど自信が持てなくなっていたうえ、「最大雇用」についてもマイノリティや低所得層への配慮を中心に説明責任のハードルの高さを意識せざるをえない状況だった。生産性上昇率や潜在成長率はFRBの直接的な責務ではない。
その意味でイエレン議長時代の高圧経済論は「物価の安定」や「最大雇用」という本来の仕事が仕上げに近づく中で、さらに潜在成長率の引き上げにも力を貸せるかもしれない、というゆとりある立場での議論だった。
これに対し2019年のFRBは、自分たちの二つの責務自体について課題を感じていたのである。その課題に対する答えは、結局のところ、イエレン議長時代よりも徹底した金融緩和の継続しかない。ただその説明に当たっては、高圧経済論ではなく、自分たちの責務との関係が明確で、人々の共感も得やすいロジックを用いる必要があるとFRBは考えたようだ。
その結果が、最大雇用を「幅広く包摂的な目標」(a broad-based inclusive goal)と新たに性格づけたことに表れている。「包摂的」とは、貧困をなくす・格差を是正するという意味である(経済用語として)。FRBは格差是正も大義名分にしながら金融緩和を強化する、という戦略を選択したのである。
そのためにFRBは、
- 不況になれば低所得層ほど雇用環境が大きく悪化する
- 逆に好況期には低所得層ほど雇用環境が大きく改善する
というエビデンスも周到に準備した。
経済を過熱気味に維持することの恩恵は、低所得層にとって特に大きいというわけである。FRBは「物価の安定」についても、2%インフレが格差の是正に資すると言う。中期的に2%程度のインフレがあれば金利もその分高くでき、いざという時にしっかり利下げできる、というのが一般的な「のりしろ論」である。
FRBはさらに一歩踏み込んで、金利ののりしろを確保し、不況を戦える力を蓄えておくことは、不況に最も脆弱な低所得層にとってのメリットが一番大きいと論じる。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より抜粋しています。
(この記事は 2021年1月28日に書かれたものです)