2021年10大リスクトップはバイデン氏
明白に二分化を強めた米国
トランプ政権における一種明け透けな米国第一主義は、超大国としての余裕を失った証と受け止められてきた。この方向が続けば、米国が同盟の中心的存在としての求心力を失う恐れがあり、特に米欧関係の希薄化は懸念すべき水準にある。
ブレグジットによって欧州連合の道が逆行したという現実への失望や、ロシアのクリミア併合という19世紀的な挙に対して決定的な措置を講じることができなかった無力感と相まって、米国を中心とする同盟のネットワークが弱体化しているとの印象は否めない。
今回の大統領選挙では、米国社会の分裂が根深いということが明らかになった。両陣営を支持する人々は、政治信条や主張が異なるだけでなく、判断の基準となる情報源も全く異なる。フェイクニュースという言葉が示唆することは、同じ事象を全く違う情報として捉えることが日常化したことを意味する。
言い換えれば、異なった情報に基づいて二つの全く違う世界を作り上げ、それぞれの中で生きる全く違う人々の集団を作るということでもある。このことは、SNSを代表とする新しいメディアの普及によって、より深刻になっている。
この種のメディアは、視聴者の関心傾向に関するデータの蓄積・分析に基づいてプッシュ方式で情報を送付するため、視聴者は自分の好みに合う情報をより頻繁に手にすることになり、この好みの違いによって、得られる情報とそれに基づく判断に大きなギャップが生じるからだ。
このため、バイデン氏が大統領に就任してもその支持層は最大でも有権者の半数、残りの半数は動かし難い反対勢力となる。新政権の政治基盤は脆弱で、決定力・実行力を欠いたものになる懸念を払拭することはできない。
分断が先鋭化する結果、教科書的な民主主義の手続きは機能しなくなる。すなわち、選挙や議会での議論の結果としての結論に対し、大同団結して、その実現を目指すということが困難になるということだ。
バイデン政権誕生でも、トランプ氏やその支持者の負の影響力が強く残ることを予期しなければならない。さらに、米国の民主主義や豊かさに対する夢が色褪せてきたことにも留意しなければならない。
BLM (Black Lives Matter)を巡る市民運動が暴徒化する様子や、ニューヨークの一流ブランド店が大統領選挙を巡る暴力行為を恐れてショーウィンドーを木材で襲う様子などは、米国への幻滅すら感じさせる。BLMを巡ってのデモを鎮圧する場面には、香港での民主化運動取締りを彷彿とさせるものさえあった。
米国が標榜し、その同盟国・友好国が憧れを抱いてきた自由、民主主義、人権といった理念に
陰りがみられるという点を看過してはならない。ロシアのクリミア併合はもとより中国の香港に対する強権的な統治姿勢に対して、米国をはじめとする西側社会として有効な手立てを講じることができなかった経緯はこの陰りをより深刻なものとする。
人類が築き上げてきた現在の国際秩序を維持し、さらに新しい世界により適合するものとしていくためには、国際的努力の精神的支柱となってきた民主主義を中心理念とする価値観こそがこれまでになく重要になる。
他方、少なくとも当面の間、これまでリーダーであり続けた米国に過去と同様の決定的な役割を期待することは難しそうだ。なぜならバイデン大統領にその資質を期待できないからだ。
政治好きが墓穴になる
バイデンは1970年に27歳の若さでデラウェア州の郡議会メンバーに選出されて以来、とにかく政治一本の人生だった。1973年~2009年の36年間、連邦議会上院議員。その後、オバマ政権副大統領を二期、8年務めた。
オバマとトランプという全く異なるタイプの二人の大統領に共通点があるとしたら、両者とも完全な政治的アウトサイダーであり、ワシントン政治という特殊な空間の中で育ってきた政治家という人種ではなかったことだ。その外形的な違いにも関わらず、この点において両社は共通している。
バイデンはある意味、この二人の対極に位置する人物である。彼にとって政治(ポリティクス)とは何よりも人と交わることだった。今の基準からすると少し過剰のようにも見えるボディタッチやハグはまさにそのことを示している。
オバマとトランプはそうではなかった。オバマは政策的信念は持っていたものの、それを実現するプロセス(これこそが政治だ)に参加することそのものについては、惹かれることはなかった。
いわんやオバマ政権は、一番面倒な議会対策を上院のベテランだったバイデンに任せていた。オバマにとって共和党との面倒な交渉ごとは、政策を実現させるためにやむをえず取り組む行為に過ぎなかった。
トランプも、従来的な意味での政治にはほとんど関心を持たなかった大統領だ。トランプにとって政治はショーであり、それが「トランプ・ショー」である限りにおいてしか、彼の関心事ではなかった。
しかし、バイデンは違う。彼は根っからの政治好きだ。1970年代の上院は、マンスフィールドやハワード・ベーカーなど、上院の巨人たちの存在感が際立っていた時期だ。当時、上院とは何か大きなことをやる場だった。つまり、連邦議員と言えば上院議員とされるほど格の違いがあった。
バイデンは、そうした雰囲気の中で政治家として育ち、妥協、譲歩、そして合意という姿勢が美徳であるということが政治家としての体質となっている最後の世代の政治家だ。
いまの政治においては、原理にこだわり、譲歩をしないということが「強さ」として語られている。サンダース、クルーズ、オカシオ・コルテスにしてもそうだが、バイデンは明らかに気質的に違うタイプの政治家だ。
政治家としてのバイデンの「古さ」は年齢以上に、この気質なのである。投票者の過半数がバイデンを選んだのは意外に、この資質を感じ取った結果かもしれない。
オバマ大統領(当時)とは強烈な対決姿勢を露わにした共和党上院院内総務のマコネルだが、
マコネルはバイデンに遅れることおよそ10年、1985年上院議員になっている。1980年代には上院は既に「粗野」な場所になっていたといわれるが、それでも今と比べると比較にならないほど「礼節」を弁えた対話可能な空間だった。
そこで政治家としての実績を重ねたマコネルが、バイデン民主党政権下で多数派の上院院内総務として、共和党勢力の「議会指揮官」になる可能性は極めて高い。オバマ政権時代、マコネルのオフィスでは「ジョー(オバマ大統領)を電話口に出せ」という発言が、「真面目に交渉すべき時だ」という意思表明と同義だったと、マコネル自身がかつて語っている。
バイデンもマコネルも1942年生まれの78歳。二人の政治家としての存在期間を足し合わせると優に80年を超えるベテランが、党内の原理主義的な勢力に抗して、いまの硬直した米国政治を突き崩す会話を始められるのか。
バイデンは当選が確定して以来、マコネルと話したかと尋ねられ、これまではまだだと答えていたが、最近は返答をしなくなったという。これが、二人が話し始めている兆候なのか。
親しい友人と言う間柄ではないが、バイデンの息子が2015年に脳腫瘍で亡くなった時、共和党の上院議員で唯一葬儀に参列したのがマコネルだった。また、バイデンが副大統領に就任するにあたって上院を去る際に、マコネルは率先して送別の辞を送ったという。果たして「クリンチ」はうまくいくのか。
一方、ユーラシア・グループの「2021年10大リスク」報告書(1月4日発表)でトップに挙げられたのが「バイデン大統領」。
同報告書では、
「米世論の二極化により、問題解決へ向けた政治的妥協が困難になり、富裕層への課税強化や医療保険制度拡充など、バイデン氏の公約の実現が難しくなる。バイデン氏が目指す国際協調重視の外交政策も期待通りにはいかない。
彼は国民のほぼ半数から非合法に選ばれた大統領だとみなされ続ける。ジミー・カーター氏以降で最も弱い大統領として就任する」
と極めて冷厳な分析をしている。昨今の国際情勢分析でダントツの正確度を続けているイアン・ブレマー氏(国際政治学者)率いるグループの予測だけに、バイデン評価は相当低いとみるべきであろう。
つまり、バイデンは「トランプを退けた大統領」として歴史的に刻まれただけで、もはや政権発足前から「レイムダック化」した大統領ということなのである。それどころか、4年後にトランプ氏が再び大統領として登場し、4年間の政策が無に戻る事態すらも想定しておく必要もあろう。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より抜粋しています。
(この記事は 2021年1月6日に書かれたものです)