渋沢栄一とナンバー銀行
子供のためのお金のリテラシー教育 お金について考えてみよう
ここでは「お金」にまつわる、いろいろなお話をします。一見バラバラのお話のように見えるかもしれません。しかし、話が進んでいくにつれて、ジグソーパズルのピースのように、一つの絵を形作るために、お互いに関連しあっていることがわかってくるでしょう。ここで読んだことが、既に自分の持っている知識と結びつくこともあれば、日常生活の中で、連載の内容と関連する出来事を見聞きして、納得することもあるでしょう。そういう時に、頭の中で知識のネットワークが強化されます。この連載を読んで、興味を持ったり、疑問に思ったりしたら、続きは、自分で調べてみましょう。
番号が名前の銀行、何故だろう?
次のような名前の銀行があることをご存知ですか?
- 第四銀行
- 十六銀行
- 七十七銀行
- 十八親和銀行
- 八十二銀行
- 百五銀行
- 百十四銀行
数字が名前になっています。変わった名前ですね。「ナンバー銀行」とも呼ばれているようです。もちろん全て実在の銀行です。これらの銀行の地元で、実際に利用されている方もいらっしゃると思いますが、初耳の方も多いかもしれません。
どうしてこのような名前なのだろう?第四はあって、第一、第二、第三はないのか?他のナンバーはないのか?などと疑問もわき起こります。実は、これらはとても由緒のある名前なのです。その事について話すには、渋沢栄一について話さなければなりません。
2019年に政府は、2024年にお札のデザインを一新することを発表しました。そして、新しい一万円札の肖像は、渋沢栄一であると発表しました。そのとき、「渋沢栄一って誰だろう?何をした人だろう?」とよく知らない人が多かったようです(渋沢栄一の出身地である埼玉県では大いにこの話題で盛り上がったと伝えられています)歴史上の人物としては、教科書には登場していないため、一般的な知名度は、他の歴史上の人物と比べるとあまりないようなのです(一部の地域では副読本で取り上げられている例はあります)
渋沢栄一の大いなる願いと使命
渋沢栄一は、日本資本主義の父とも呼ばれるほど、たくさんの大きな仕事をされた偉人です。栄一は徳川幕府末期の頃、江戸幕府のパリ万博視察団の一員として、ナポレオン三世政権のフランスのパリに行っています(パリにいる間に日本では江戸幕府が倒れて、明治時代が始まります)パリ万博へ行った栄一は、広大な会場に展示されている世界各国の出品物、特に、電動機や発電機、水圧式エレベータなどの最新の機械関係の展示時に驚きます。また街に出てみると、レンガ作りの立派な建物、整備された下水道、ガス灯などに目をみはったといいます。そして、日本と外国との間に、大きな格差があることにショックを受けたのです。
日本出国のときは、編み笠に着物で刀を持った武士スタイルだったのが、帰国した時には、シルクハットに洋装でステッキを持つという欧州スタイルになっていたくらいです。このパリ万博視察は、栄一が日本の近代化のために力を尽くすことになる、大きなきっかけになりました。
栄一は、明治政府の大蔵省で働いた後、実業家として様々な事業を始めていきます。そして、日本で初めての銀行を設立し、その責任者になりました。それが国立第一銀行です。(BANKの日本語訳を「銀行」としたのも栄一です。最初は「金行」にしようと思っていたようです)しかし、銀行ができたものの、人々は、銀行というものがどんなものなのか知らなかったので、その役割が知られていくのには、時間がかかりました。
栄一は、経済が発展し国が発展するためには、世の中にたくさんのお金の流れができることが必要だと考えていました。大河の流れのようなお金の流れをつくるのは銀行の役目だとして、そのために銀行をつくったのです。銀行の主な仕事の一つは、資金が必要だが資金のない人にお金を貸し、事業を支援することです。当時の日本には、人々の生活を豊かにし、国を発展させるための様々な事業が必要であり、そういう事業を始めたい人がたくさんいましたが、元手になる資金がなかった。
それに対して、第一国立銀行がお金を貸し出して、事業を助けました。第一国立銀行が応援をした事業はうまく行き、銀行としての役割を、人々に理解してもらうことができたのです。
第一国立銀行の成功をみて、全国各地でも「地元に銀行を作ろう!」という機運が高まり次々に銀行が設立されていきます。第二国立銀行、第三国立銀行……そして、なんと第百五十三国立銀行まで。実に153もの国立銀行ができました。
こうやって、ナンバー銀行が日本全国の各地にできたのです。栄一が関わった銀行もたくさんあります。なお、これらの銀行には「国立」と名前がついていますが、これは、国の法律のもとに作ったという意味であり、国の銀行ではありません。全て民間の銀行です。今では考えられないことですが、民間の銀行ではあっても政府の依頼で紙幣の発行もしていました。
日本全国にたくさんの銀行ができて、人々はそこからお金を借りてたくさんの新しい事業を始めることができました。これらのナンバー銀行は、明治、大正、昭和、平成、令和と時代の移り変わりとともに、廃止になってしまったものもありますが、その多くは合併したり、他の銀行に買収されたりして、名前を変えてながらも、現在良く知られている大きな銀行として続いています。たとえば、第一国立銀行は現在のみずほ銀行の元になっています。
そして、始めに書いたナンバー銀行は、現在まで元の名前を引き継いでいるのです。最初に、由緒ある名前と書いたのはそういうわけです。
栄一は、銀行以外にも多くの会社の設立に関わりますが、事業がうまく軌道にのると、自分は身を引いて、次の会社設立にとりかかりました。そうやって、栄一が設立に関わった会社は、実に500社以上にも上ります。しかも、明治時代に日本が経済的に発展を始めていくのに重要な会社ばかりです。
銀行、保険、鉄鋼、金属、化学、医薬品、鉄道、電力、ガス、商船、新聞、建設、製紙、ビールなどなど。。。これらの会社の発展とともに、日本の経済が成長を始め、人々の暮らしもだんだんと豊かになっていきました。パリで外国との格差に驚き、日本を発展させたいと考えた栄一の願いが実現していったのです。
もしもその栄一が、そのままこれら多数の会社の経営者や所有者として残っていれば、日本一の大富豪になっていたに違いありませんが、栄一は自分が大金持ちになることには全く関心がなかったようです。それよりも、世の中の発展し人々が豊かになることを自分の使命として、それに生涯を捧げたのです。
2021年度のNHKの大河ドラマ「青天を衝け」は渋沢栄一が主人公(演じるのは吉沢亮さん)です。渋沢栄一が、自分の使命に目覚めて、どのように使命を果たして行ったのかが、ドラマで表現されることを期待しています。
(注)現在の八十二銀行は、第八十二国立銀行が元ではなく、第十九銀行と第六十三銀行が合併したもの。19+63=82というわけです!また、現在、第三銀行という銀行も実在しますが、これは第三国立銀行とは関係ありません。2021年には、三十三銀行と名前が変わる予定です。