アメリカで有名なカリフォルニア・ゴールドラッシュ
子供のためのお金のリテラシー教育 お金について考えてみよう
ここでは「お金」にまつわる、いろいろなお話をします。一見バラバラのお話のように見えるかもしれません。しかし、話が進んでいくにつれて、ジグソーパズルのピースのように、一つの絵を形作るために、お互いに関連しあっていることがわかってくるでしょう。ここで読んだことが、既に自分の持っている知識と結びつくこともあれば、日常生活の中で、連載の内容と関連する出来事を見聞きして、納得することもあるでしょう。そういう時に、頭の中で知識のネットワークが強化されます。この連載を読んで、興味を持ったり、疑問に思ったりしたら、続きは、自分で調べてみましょう。
金(ゴールド)の価値
現在の日本では金貨は使われていませんが、西洋の昔話を読むと、金貨や銀貨が出てきます。金貨といってもいろいろなサイズがありますが、現在発行されている金貨では、1オンスサイズ(約31.1グラム)というものが人気があります。これは、500円玉より、ほんの一回りほど大きい程度のサイズですが、手のひらに乗せてみるとずっしりと重い感じがします。
500円玉は1枚7グラムですから、500円玉4枚より重いのです。500円玉4枚+1円玉3枚を重ねると約31グラムになりますので、これを重ねて手の平に乗せてみてください。1オンス金貨の重さを感じることができます。
金(ゴールド)は、錆びることなく、酸で溶けず(王水という特殊な酸には溶けます)、永遠にその輝きを維持することができます。古代エジプトのツタンカーメン王の棺は、エジプトの王家の谷にある墓で、約3300年以上も眠りについていたわけですが、発掘された時、有名な黄金のマスクは、作られたときと同じ輝きを保っていました。
そのような特質に加えて、非常に採掘量が少ない貴重な金属でもあります。これまでに人類が地中から掘りだした金の総量は、約18万トンと推定されています。(一方、銀は約100万トン、鉄は約300億トンと推定)もしこれを一つに集めると、その体積は約9300立方メートルです。これを、国立競技場のサッカーのフィールド一面に敷き詰めてみましょう。するとその高さはどのくらいになると思いますか?なんと、たったの約1.3メートルしかないのです!
人類が、有史以来延々と掘り続けた金を全て集めても、これだけにしかなりません。そのような貴重な金属だったので、長い歴史を通して「金(ゴールド)」はいつの時代、どこの国でも非常に価値の高いものとして取り扱われてきました。そして、金貨としても鋳造されて、つまりお金として使われてきたわけです。
金(ゴールド)に熱狂!
ここで話は、1848年のアメリカに飛びます。イギリスで起きた、第一次産業革命がアメリカにも波及して、アメリカの東部で工業化が進んだ頃、まだ西部の方は、開発が進んでおらず、未開の地といっても良いようなところでした。しかし、「カリフォルニアで金が発見された!しかも、川底にごろごろ転がっていて誰でも採れる!」というニュースが東部に届くと、たちまち大騒ぎになりました。
金の採掘というと、日本では佐渡の金山のように、地中深く坑道を掘っていくイメージですが、カリフォルニアでは、金が地表に近いところにあり、川底の砂の中から誰でも簡単に採れるというのです。それで一獲千金を夢見る人たちが、大挙してカリフォルニアを目指したのです。一獲千金というと、お金のない人や職のない人が一発大勝負に出るというイメージですが、当初は、あらゆる階層の人たちが金にとりつかれてしまいました。
資産を売却して、西部に行く資金をつくる人たちも、たくさんいました。そして、船に乗ってカリフォルニアを目指したのです。当時、東部から西部に陸路で行くのはとても不便で、船に乗って大西洋を南に下り、南アメリカの最南端を回って、太平洋を北上してカリフォルニアに行くルートを使う人が多かったようです。半年かかる長い旅にもかかわらず、その年には約180隻の船で、約1万人以上が、カリフォルニアへ向いました。
翌1849年以降の4年間で、海路、陸路半々くらいで33万人の人が東部からカリフォルニアへ。また大勢の外国人も、海を渡ってやってきています。当時小さな村でしかなかった土地がたちまちのうちに大きな都市へと発展していきました。
このように、人々が金(ゴールド)に熱狂して殺到してくることを、「ゴールドラッシュ」といいます。1849年から本格的なゴールラッシュになったので、その頃集まってきた人のことを49’s(フォーティナイナーズ)と言います。今では、アメリカンフットボールのチームの名前にもなっていますね。
金を採りに来た人たちは、始めの頃は、川でパンニング皿というお皿のようなもので、砂金をすくい取っていました。日本でも何ヶ所か、金鉱山の跡地などで、砂金採り体験ができるところがあります。私もやってみた事があります。金の粒が混じっている川底の砂を、皿ですくい取り、水の中でゆすって軽い砂を流していくと、重い砂金がお皿に残るのです。金の粒を発見したときには「やったー!」と思いますね。
当時のカリフォルニアでは、そもそも土地の所有権がはっきりしていませんでした。どこで金を採るのも自由、採った金には税金もかからないので、採れば採るだけ自分の財産にすることができました。人々が熱狂するのも無理がない話です。
やがて、もっと効率の良いやり方が出現します。水力採掘法です。高い水位から導いた水をホースで噴出させて土地にあてて、崩していくのです。ホースとはいっても直径が20センチ以上もある大砲のような形をしていました。この水圧はものすごく、たちまちのうちに土地を崩してきました。この土と水の混ざった泥水を、長さ20キロメートル〜30キロメートルもある長い水路に導き、そこから金をとるというわけです。
そのような水路が数百本も作られたので、土地が削られ、捨てられた泥水で木が埋まり枯れてしまいました。環境破壊なのですが、当時、それを気にする人がほとんどなく、取り締まる法律もありませんでした。農家の訴えによりようやく禁止になったのは1884年になってからです。
ゴールドラッシュで堅実に儲けた人々とは?
では、一獲千金を夢見て集まってきた人たちは、みんな儲けることができたのでしょうか?始めの頃に来た人たちは大きく儲かりました。(もともと地元にいて採掘に参加した人も)しかし、次第に金が採れなくなり、儲けるのが難しくなっていきました。金を採るためのダムを、3つも造った会社もありましたが、全然採れずに大失敗しています。大多数の人々、特に遅れてやってきた人たちは、儲けることはできずに、夢破れてしまったのです。
その一方で、確実に儲ける方法を考えた人たちがいます。その人たちは、金を採掘しに来た人々に、商品やサービスを提供しようと考えた人たちです。
金の採掘に来た人たちに、提供できるものは、いくらでもありました。宿泊施設、レストラン、酒場、食料品、日用雑貨、医薬品、採掘用の道具(パンニング皿、つるはし、スコップなど)、作業服、靴、などなど。なかでも一番有名なのは、ドイツからの移民のリーバイ・ストラウスです。彼は、ゴールラッシュで集まってくる人たちに、荷馬車の幌やテントに使うキャンバス帆布や、作業服を販売して利益を上げました。後年、ブルージーンズを発明。彼の会社は現在では、ジーンズのメーカーとして大企業になっています。リーバイスです。
金を採掘して、大金持ちになるというのは、確かに夢のある仕事ですが、非常に大勢の人が集まってきて、競い合って金を採っている中では、成功するかどうかは不確実なところが多かったわけです。なので、そこに自分も突入するのではなくて、そこで必要となるものを提供して儲けるというのは発想の転換ですね。
一つの産業が発展するときに、その周辺には必ず、周辺産業というものが必要になります。現在の日本でもいろいろなものが、ゴールラッシュとまではいきませんが、次々にブームになっています。何かがブームになったときに、そこから一歩離れた目で見て、そのブームに関連した周辺の仕事には何があるだろう?と考えてみると面白いと思います。