高騰したマスクの販売・購入は不合理な行動か?
子供のためのお金のリテラシー教育 お金について考えてみよう
ここでは「お金」にまつわる、いろいろなお話をします。一見バラバラのお話のように見えるかもしれません。しかし、話が進んでいくにつれて、ジグソーパズルのピースのように、一つの絵を形作るために、お互いに関連しあっていることがわかってくるでしょう。ここで読んだことが、既に自分の持っている知識と結びつくこともあれば、日常生活の中で、連載の内容と関連する出来事を見聞きして、納得することもあるでしょう。そういう時に、頭の中で知識のネットワークが強化されます。この連載を読んで、興味を持ったり、疑問に思ったりしたら、続きは、自分で調べてみましょう。
元公立学校教員で、個人トレーダーのマゼランと申します。
この連載では「お金」にまつわるいろいろなお話をしていきます。
一見バラバラのお話のように見えるかもしれません。しかし、話が進んでいくにつれて、ジグソーパズルのピースのように、一つの絵を形作るためにお互いに関連しあっていることがわかってくることと思います。
また、ここで読んだことが既に自分の持っている知識と結びつくこともあるでしょうし、日常生活の中で連載の内容と関連する出来事を見聞きして納得することがあるでしょう。そういう時に、頭の中で知識のネットワークが強化されます。
もし、この連載を読んで、興味を持ったり、疑問に思ったりしたら、続きはご自分で調べてみてください。単に人から聞いた話よりも自分の力で調べたことのほうが何倍も身に付きます。本連載が、そのような知識獲得の行動の一つのきっかけになれば幸いです。
それではどうぞよろしくお願いいたします。
物の価格は、需要と供給によって決まる
「物の価格は、需要と供給によって決まる」ということを高校の経済の授業で学習しました。「需要曲線・供給曲線」と言うものが教科書に載っていて、二つの曲線が交差したところで価格が決まる。これで説明されていたと思います。
ただ、この説明のされ方は、当時の私にとっては、分かりにくかったです。しかし、現実で起きている物の値段の動きを観察すれば簡単に分かることなんですね。
「えっ!5000円!」と驚いてしまったのが2020年2月〜3月頃のマスクの販売価格。それまで1箱50枚入りで500円程度だった不織布マスクが急速に値上がりし、店頭価格1箱5000円で、販売されるところがありました。
しかも、在庫がほとんどなく店頭に出れば即売り切れという状態。メルカリでは、さらに高額な値段で転売する人がいたり、ほかの商品と抱き合わせで、高く売る商法まで表れたりしました。
これは、言うまでもなく、新型コロナウィルスの感染者が増大する傾向にあり、マスクを求める人が、急速に増えマスクの需要が急増する一方、マスクの在庫は例年並しかないため供給量が追いつかなかったためです。
普段よりはるかに高い価格でも良いから、とにかくマスクを買いたい人が、買っても良いという価格が5000円であり、売りたいマスクの在庫がないので、5000円で売れるならばそれで売ってみようという、両者の考えが一致したところが、5000円だったということになります。
その後、マスクが増産体制に入ったり、政府から布マスクが全世帯に支給されたりしたことから、供給量が改善されて、それとともに、マスクの販売価格が急速に下げていきました。そして大量生産されたマスクが、販売できずに在庫過剰になる現象にまで発展し、2020年秋頃には、高騰前の通常の価格以下にまで下げて、在庫処分をする業者まででている状態です。
春頃には、ドラッグストアに開店前から長い行列ができていたのが、秋にはどこでも簡単に手に入るようになり、店頭にはマスクが山積みになっていて、人々は見向きもせず通り過ぎて行きます。またマスク専門ショップがあちこちに出店して、素材・色・デザインなど様々なマスクが豊富に売られている状況です。
売る人と買う人 両方が納得できる価格とは
このようにして、需要と供給のバランスによって物の価格が決まるわけですが、上記の話だけでは、大切な事を見落としてしまいます。通常500円だったマスクを、5000円で販売することや、その価格で買うということは、不合理なことなのかということです。
これは、買った人の気持ちや、買った理由を考えてみると、わかると思います。買った人は様々な理由で当面の間のマスクを確保する必要があり、5000円でも買わざるを得なかった人だった、ということです。家に高齢者の方がいる、職場でマスクをしなくてはならないが職場からの支給はない、花粉症である。など理由は様々です。
しかし、5000円で当面の間のマスクを確保したので、なお不安は残るものの、買う前よりも精神的に安定することができたということです。つまり、マスクを5000円で買うことは物を得ると同時に、精神的な安定感が得るということでもあり、それに対する価値を5000円の中に、見いだしているということになります。
一方、お店の方からすると、実はその当時のマスクの販売総額は、供給が止まったことにより通常の年よりも大幅に激減していたというデータがあります。つまり販売者からみると、例年通りの販売額を確保するためには、本当はもっと高い価格でも売りたかったところなのだと考えられます。
しかし、さすがにこれ以上の価格にすれば、全く買ってもらえなくなるかもしれず、また、悪徳商法として、世間から批判を受けるかも知れません(事実、メルカリで高額で転売していた人たちは批判を受けましたし、政府が転売禁止の方針を出したためにメルカリも転売禁止にしました)。
ですので、5000円という価格設定は、売るほうから見て例年よりもはるかに少ないが利益確保をするのと世間からの批判を浴びずに販売できるギリギリの価格という選択だったと考えられます。
そこで、売る方買う方双方が納得できる価格で折り合ったのが、5000円という価格だったということになります。つまり、不合理な行動ではなかったということです。同じ物であっても、買う方が、納得、満足できる価格というものは状況によって変わってきます。
たとえば、私はある年の夏に、甲子園球場で高校野球を観戦した事があります。外野のスタンドでした。真夏の日差しが強烈に照りつける中、高校球児たちがプレーをする姿に感動しましたが、観戦する立場ではこの暑さには耐えられない。その時、「かちわりいっかーすかー!」(かち割いかがですかー)という販売員さんの声が。
これが有名な甲子園のかち割り氷かと思い、すぐに手を上げて買いました。ただ、そのときは、かち割氷がポリ袋の中に入ったものではなくて、水の入ったペットボトルを凍結させたものでしたが。普段でしたら、ただの水を、凍らせただけなので高いと思える価格でしたが、その時はまったくそう思わず、こんなに安く販売してくれるんだ、この2倍でも買うだろうなあ。と思ったくらいです。そしてそのペットボトルを首筋にあてて生き返った心地がして、その価格で氷が手に入ったことに十分に満足したものです。
物の需要量・供給量、そして買う方売る方の納得度・満足度。それらのバランスで、物の価格が決まるということを、身近な事例で考えてみましょう。