大阪都構想の黒幕は誰なのか
かつて橋本徹氏がその本音を暴露したように、その本質は大阪府により「大阪市が持っている権限、力、マネーをむしり取る」ことだ。この11月1日に2度目の住民投票に付される「特別区設置協定書」(以下「協定書」)によっても、大阪市の財源の65%はむしり取られることになる。
「都構想」のため制定された「大阪市地域特別区設置法」によれば、大阪市を廃止して特別区に分割するには、府と市が「特別区設置協議会」(以下「法定協」)を設置して「協定書」を作成し、府議会と大阪市会の双方の承認を得た上、大阪市民による住民投票で過半数の賛成を得ねばならない。この9月の段階で府議会と大阪市会の承認は得られ、残すは住民投票だけだ。
ここである疑問が浮上する。大阪市会は、大阪市から「権限、力、マネーをむしり取られる」だけの「協定書」になぜ承認を与えたのか。どう見ても大阪市民の得になる話ではない。議会制の本来の機能である熟議の結果、市民にとってこれほど割の合わない話に合意が与えられるとは考えにくい。
だが大阪市会の承認は維新と公明の賛成で得られてしまった。極めて不可解なこの結果が「政治的」にもたらされたものであることは、誰が見ても明らかだ。「都構想」の裏ではいかなる「政治」が展開されていたのか。
官邸、維新の会、創価学会の構図
こうした不可解な動きを主導してきたのは(1)安倍首相と菅官房長官を中心とした首相官邸(以下「官邸」)、(2)橋本徹氏や松井一郎氏を中心とした大阪維新の会(以下「維新」)、(3)谷川事務総長と正木理事長の対立がある創価学会本部(以下「学会本部」)の3アクターである。
このパワーゲームが大阪市民の与り知らぬ所で展開したとする所以である。それらは三者三様の事情をめぐって虚々実々のパワーゲームを展開したのである。
1.「官邸」の事情
前首相の安倍氏の悲願=九条改憲を実現する上で避けて通れないことは、改憲発議に必要な3分の2の賛成票を確保することにあった。至難の業である。安倍首相は2012年末の政権復帰以来、通算及び連続の在職日数で史上最長を記録した。だが、これだけの長期政権でありながら、改憲発議の入り口にも辿り着けぬまま、持病悪化を理由に(本当は行き詰まりによる政権投げ出し)退陣した。
こうした「官邸」にとり公明党との連立維持は絶対不可欠だった。自民単独では参院ですら3分の2の議席は確保できない。それどころか定数1の衆院の小選挙区や参院の多くの選挙区では、公明の協力なしには議席の確保すら覚束無い。
自民の衆院比例区の得票数は2005年の2589万票をピークに、2012年の=662万、直近の2017年=1856万と減少傾向が続いている。比例区では2000万票に手の届かない政党と化していたのである。公明党の比例票(2005年=898万→2017年=698万)を合わせなければ自民党は小選挙区では勝ちようがない。公明の選挙区での議席(8~9)もまた自民との協力なしには確保できない。自・公は一連托生そのものなのだ。
だが公明の協力だけでは改憲発議は無理である。衆参それぞれ3分の2というハードルは極めて高い。しかも「平和の党」を揚げる公明にとり、九条改憲はできれば避けて通りたい。
そこで「維新」と「官邸」との関係が浮上してくるわけだ。自公に「維新」の議席を加えることなしには改憲への道を拓くことはできない。腰の重い公明を前に、改憲に前のめりな「維新」との関係を深めれば、公明を牽制し、改憲へと踏み込ませる重要なカードともなる。
公明との連立解消は取り得る選択肢ではない。だが「維新」と公明を天秤に掛け、「維新」への乗り換えをほのめかすだけで十分なのだ。「維新」はこうした駆け引きの道具の役割を敢えて引き受け、引き換えに「都構想」への協力を引きだしてきたのだ。
2.「維新」の事情
「都構想」実現には、府議会と大阪市会の双方で「協定書」への承認を得なければならないが、その内容は熟議による合意の広がりを期し得る代物ではない。「維新」としては府議会、大阪市会で単独過半数を獲得するか、パワーゲームにより反維新勢力を切り崩すしかなかった。
府議会では2011年、橋下府知事の下、議員定数の大幅削減(109→88)が強行され、53選挙区のうち定数1の小選挙区が31となり、「維新」が単独過半数を占める可能性が大きく高まった。
しかし「維新」が大阪市会で単独過半数を占めるのは簡単ではない。2016年、大阪市会の議員定数も削減された(86→83)が、選挙区すべて定数2~6の中選挙区だ。さすがの「維新」でもこの選挙制区の下で単独過半数を占めるのは難しい。「維新」は2019年の市会選で35から40へと議席を伸ばしたが、それでも過半数(42議席)には届かなかった。
この市会過半数の壁は「都構想」を幾度も行き詰まりへと追い込んできた。「維新」に残された道はパワーゲームによる自民や公明の切り崩しのみだったわけである。
3.「学会本部」の事情
「学会本部」には権力闘争の嵐が吹き荒れた。谷川事務総長と正木理事長の次期会長をめぐるさや当てが核にある。背景には、安倍政権との連立維持を追及する谷川氏と、平和主義の立場から連立解消を求める正木氏との対立が横たわっていた。
2015年、SEALDs等の呼びかけで安全保障関連法案に反対する国会行動が連日連夜くり広げられ、そこには創価学会の三色旗がはためいた。自公連立維持の路線に反旗を翻す学会員たちの存在を物語るものだ。
「学会本部」における権力闘争と路線対立は、この間の公明党の得票数の激減とも繋がっている。組織の高齢化による活動の弱体化も影響している。学会の内部対立が、それに拍車をかけていた。2005年衆院選では898万票あった公明党の比例票は、2017年には698万票へと激減。直近の2019年参院選では654万票にまで減少した。
「学会本部」の権力闘争は、2015年11月に谷川氏が主任副会長に昇格すると同時に正木氏が理事長を解任される形で決着を見た。だが、学会組織内の対立が解消されたわけではない。
学会に支えられた公明党の得票は下降の一途にある。自民との一蓮托生の関係は一層解消できなくなった。「官邸」の仕掛ける「維新」との両天秤の揺さぶりは、いよいよ功を奏し易くなる。さらに「維新」が仕掛ける、公明党現職選挙区への「刺客」擁立の恫喝が一段と恐怖を呼び起こすことになる。
菅官房長官(現首相)の存在
それぞれの事情を抱える「官邸」「維新」「学会本部」の三社を繋ぐキーマンは「官邸」の大番頭=菅官房長官であった。菅氏と「維新」の松井氏との個人的な関係は松井氏の父の代にまで遡る。
橋本氏を政界にひきずりだしたのも菅氏だとされ、「維新」はかつて安倍氏を党首に迎えようと目論んだこともある。2013年以来、菅氏と松井氏が安倍氏、橋下氏を加えた四人で、毎年の如く年末に長時間の会食を重ねてきたのは周知の事実である。
「維新」と「官邸」の間では、橋下氏らが折に触れ安倍改憲支持を表明し、改憲勢力の一翼を担うことを宣言して、腰の重い公明を牽制するとの引き換えに、「官邸」として「都構想」支持を表明し、「都構想」に対する自民党大阪府連や公明党大阪府本部を牽制するという取引が行われてきた。
自民党大阪市議団が共産党との共闘も辞さぬ構えで反維新を貫く中、国会議員や府議団への牽制、人事への介入、府議団と市議団の分断等、自民党内部では「官邸」と府連の間に様々な軋轢が生じてきた。
地方、公明党府本部に対しても折に触れ、「学会本部」を通じて、「官邸」の意を体した圧力が加え続けられた。「都構想」の命運は常に公明党府本部の帰趨(きすう)に掛かってきたのであり、「官邸」と「学会本部」による公明党府本部への圧力は「維新」にとって極めて重大な意味を持ってきた。
「官邸」と「学会本部」を繋いでいたのも菅氏であり、そのパートナーは谷川事務総長とその盟友の佐藤浩副会長だった。「常勝関西」を築いた西口良三氏は2009年に総関西長を退いた後も2015年3月に死去するまで終始、反維新・反都構想の立場を貫いていた。
「学会本部」では西口氏の影響力を断承する正木理事長と「常勝関西」の呪縛からの解放を目指す谷川事務総長が激しく争い、2015年11月、正木氏の失脚により決着した。以後、「官邸」と「学会本部」は西口、正木両氏という支えを失いつつも反維新・反都構想の立場を崩さない公明党府本部に対し露骨な圧力を加え続けたのである。
2015年住民投票と橋下徹氏
「官邸」「維新」「学会本部」によるパワーゲームは「都構想」が行き詰まりに瀕するたびに発動され、「都構想」をめぐる政治過程を不可解なものにした。
最初の行き詰まりは2014年1月に訪れた。自・公・共の抵抗で「法定協」での区割り作業に行き詰まった橋本氏は、市長辞任を表明し、出直し市長選(3月23日投票)に打って出た。結局、出直し市長選は自・公・共の結束したボイコットで不発に終わり、「維新」は「法定協」からの反対議員の排除という暴挙により、「協定書」作成の強行を余儀なくされた。2014年10月、「協定書」が府市両議会で否決されたのは当然であり、「都構想」の命運は尽きたかに見えた。
折しも解散総選挙が迫っていた。11月12日、橋下市長は「公明党にやられたまま人生は終われない」と豪語し、公明党が佐藤、北側両議院を現職として擁する大阪三区と十六区に、橋下氏自らと松井府知事を「刺客」として擁立するか目を見せた。
さすがに公明党府本部は震え上がった。だが、衆院が解散されると橋本氏は一転して不出馬を表明。「官邸」が「学会本部」に働きかけ、「都構想」への協力と引き替えに、橋下氏らの出馬を断念させたとの情報が飛び交った。
12月14日の総選挙の結果、「維新」は府内114万票、大阪市内33万票の比例票を獲得し、その力を見せつけた。直後の25日夜、公明党府本部の小笹幹事長は橋本氏らと会議。「都構想」に対する住民投票の実施に協力する意向を伝えた。
奇々怪々、不可解で急転直下の方針転換だった。小笹氏は「都構想」について住民が最終判断するのを了解するよう党中央から求められたと説明したが、事実は違った。小笹氏らは12月24日に東京信濃町の「学会本部」に呼び出され、党中央を介さずに直接、「維新」への協力を迫られ、屈服したのである。
誰のどのような意思が働いたのかは想像に難くない。年明け早々の2015年1月14日、安倍首相は関西のテレビ番組に出演し、「都構想」について「二重行政をなくし住民自治を拡大していく意義はある」と述べ、「維新が憲法改正に積極的に取り組んでいることに敬意を表したい」と語った。橋本氏は翌15日、「大変ありがたい。うれしくてしょうがない」と手放しで喜び、「憲法改正は絶対に必要だ。安倍首相しかできない。できることは何でもしたい」と全面協力を誓ったのである。完全な「官邸」による裏工作だった。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より一部抜粋しています。
全文を読みたい方は、イーグルフライ掲示板をご覧ください。
(この記事は 2020年10月24日に書かれたものです)