関電金品受領問題の驚愕の裏側(3)
何も理解していない日経記事
日経朝刊(2月1日付)に「関電、原発再稼働に暗雲 高浜1号機に遅れも」と題した記事が掲載された。本稿の内容にも係わることなので要約転記する。
=5月に安全対策工事が完了する高浜原発1号機は、早ければ6月とみられていた稼働時期が遅れる公算が大きい。再稼働には地元の同意が必要だが、昨年9月に発覚した役員らの金品受領問題で地元が慎重姿勢になっている。3・4号機もテロ対策施設の建設が間に合わず、8月以降に順次、稼働できなくなる。原発依存度が高いだけに業績にも影響しそうだ。
関電は2011年の東電福島原発事故を受けて原発の安全基準が厳しくなったあとも、大手電力の中で再稼働を先行させてきた。これまでに原発4基を再稼働させ、発電コストを抑えることで家庭や法人向けの電力料金を下げるなど、電力自由化が進む中で攻勢をかけてきた。
しかし、高浜町森山元助役から金品を受領していた問題の表面化で状況は一変した。同社は実態解明のため、第三者委員会を発足させたが調査は長引いている。福井県幹部は「よしんば調査報告書が出て、関電のトップが代わっても、それだけですんなり同意できるという話ではない」と話し、再稼働に必要な地元自治体からの同意の取り付けは厳しい状況となっている。新体制が発足しても信頼回復には時間がかかる見通し。
高浜原発1・2号、美浜原発3号機が再稼働すれば、燃料コストの高い火力発電所の稼働を減らせるため1基につき、40億円程度の収益改善効果がある。稼働の先送りは関電の収益回復を遅らせる=
これを書いた記者、そして記事を掲載した日経は関電や原発利権構造の実態を知らないか、知ってて敢えて読者に提供したとしか思えない。
筆者から言わせれば、「原発とは何か、関電の体質とは何か、権力とは何かが全くわかっていない駄文である。ただ、一つだけ理解している点がある。原発の稼働は現地の住民の総意があってはじめて可能となることだ。もっと明白に言うならば、原発のある市町村長の意向が大きく左右することになるという意味であり、その首長をどう動かすことができるが最大のカギになるのである。
関電による高浜町長暗殺計画
福井県高浜町は、関電の原発を誘致することで町を発展させてきた。若狭湾岸の旧4町村が合併して町が発足したのは1955年。産業は農漁業が中心で、当時を知る町関係者は「合併で増えた職員の給与を支払うのに苦労していた」という。町は美浜原発(1970年運転開始)を抱える同県美浜町に追従する形で、1965年頃から原発の誘致活動を展開。74年に高浜原発1号機が運転を開始し、翌年に2号機、85年には3・4号機が運転を始めた。
原発が増設される度に、原発の立地地域に対する国の交付金や固定資産税などが増え、財政は潤った。関電側に金品を提供していた元助役の森山氏は77~87年に助役を務め、地元では「原発が誘致できたのは、当時の町長と森山氏の力が大きい」と言われてきた。町は国から入る豊かな原発マネーを活用して道路や下水道、公共施設を整備。今年度の予算規模は105億2800万円で歳入の53%を原発関連が占め、税収が豊かで地方交付税を受け取らない「不交付団体」となっている。
1996年、当時、日本の核燃料サイクルは柱である高速増殖炉「もんじゅ」が事実上破綻し、プルトニウムの消費に目処が立たなくなっていた。プルトニウムの保有量はこの時点で、海外で再処理した分と国内分を合わせ30トンにも膨れ、海外からは「潜在的な核保有国」との批判を受けていた。一刻も早くプルトニウムを消費させたい日本の政府の喫緊の課題は、プルトニウムとウランの混合物(MOX燃料)を一般の軽水炉で使用するプルサーマルの実施であった。
一方で、こうした危険なプルサーマル計画に反対の声も高まっており、2001年から導入を予定していた新潟県柏崎・刈羽原発の地元では、日本で初めてのプルサーマルの是非を問う住民投票が行われ、反対多数で東電はプルサーマル断念に追い込まれていた。
政府はそこで関電にターゲットをシフトし着々と工程表に沿って進めていったが、1999年9月、イギリス核燃料会社(BNFL)関係者の内部告発により、関電高浜3号機用に製造されたMOX燃料のペレットの直径寸法データが捏造されていたことが発覚。燃料ペレットの寸法が規格と異なると、燃料棒の破損事故を引き起こすおそれがある。
しかし、関電と通産省は、これが高浜原発3号機用のMOX燃料だけの問題だとして、4号機のプルサーマル計画は実施しようとした。だが、10月に日本に到着していた4号機用のMOX燃料にも同じ疑惑があることが、イギリスの核施設査察局の報告書によって11月に明らかとなり、関電のプルサーマル計画は大幅に遅れることになった。
さらに1999年9月30日に東海村で起きたJCOウラン加工工場臨界事故により、原子力に対する国民や原発立地地域住民の警戒心が強まっていった。刈羽村では2001年5月にプルサーマルの賛否を問う住民投票が実施され、東電はプルサーマルの断念に追い込まれたわけだが、政府も東電、関電もプルサーマルを完全に断念したわけではなく、結局、国内初のプルサーマル発電は2009年11月の九州電力玄海原発3号基(佐賀県)からスタートしたのである。
2005年、関電の高浜原発3号・4号機でのプルサーマル発電計画を再び具体化するための施設拡張工事を進めつつあった。
メルマガ&掲示板「イーグルフライ」より一部抜粋しています。
全文を読みたい方は、イーグルフライ掲示板をご覧ください。
(この記事は 2019.年2月1日に書かれたものです)