米国株高、日本株高はバブルなのか
過剰流動性相場論の根拠
企業収益が減少しているにもかかわらず、米国も日本も株価は堅調。米国株、日本株のPERは鋭角的に上昇しており、これを「コロナバブル」と指摘する向きも多い。株価堅調の背景にあるのは大規模な政策支援である。「犯人不在」のコロナ禍では、財政支出を伴う経済対策がまとまりやすく、大規模経済対策が実現した。
かつて日本のバブル崩壊やリーマンショック等は危機の封じ込めに際し、人々の利害関係などから税金を投入することに批判が起きたことで、経済対策が遅々として進まず、結果的に傷口が広がる事態を招いたが、今回はそれと対照的である。
日本では予算規模約13兆円の定額給付金(1人あたり10万円)、4.3兆円の持続化給付金、米国では大人1人あたり1200ドル(約12万6千円)の給付金や失保上乗せ給付(7月末まで週あたり600ドル、8月以降は400ドル)などが実施され、その結果、家計の収入はコロナ前より顕著に増加した。こうした政策は通貨供給量(マネーストック)の顕著な増加に繋がる。
8月のマネーストックは米国が前年比+23.3%、日本が+7.1%とそれぞれ急増し、共に2000年代入り後で断トツの伸びとなった。日米共に家計支援策に加えて企業向け貸し出しが急増したことが背景である。こうしたマネーの一部が株式市場に流入しているとの指摘は多い。
長期的にみて株価PERとマネーストックは緩やかな相関関係にあるが、目下の株高をこうした文脈で説明することには確かに説得力がある。現局面において株価もマネーストックも鋭角的に上昇(日本株は出遅れているが)しているのは、マネーの量が株価の重要な決的材料であることを物語っていて、「株高は貨幣現象」「株高は過剰流動性相場」との市場筋の代表的なロゴ違和感はない。
だが、一方では超低金利と膨大な流動性供給のもとで世界的に債務が急拡大していることも事実であり、低格付・ジャンク級の債券利回りが歴史的に低下していることや株高はやはりバブルではないのか、との見方も少なくない。
もちろん、過剰流動性相場の場合もFRBをはじめとした主要国中央銀行はバランスシートの縮小に舵を切ったら株高は一気に崩壊するわけで、バブル→バブル崩壊必至のリスクと違いはあるまい。ただ、バブル崩壊と違うのは、確実に「政策転換」の予兆がある点だ。
ところがバブル相場と定義する場合、「バブルの崩壊」を予見することは不可能に近いのである。「コロナバブルならばコロナ禍が収束する気配で予見できる」との見方もあるが、その「気配」を把握することは現実的でない。
バブルの論理も否定できない
「バブルは崩壊して初めてバブルとわかる」という。バブルの最中には、それがバブルかどうかを的確に判断することは難しく、バブルであっても投資家が強気姿勢を維持する限りバブルは弾けないからだ。多くの識者がそう指摘するが、マエストロ(巨匠)とかつて称えられたFRBグリーンスパン元議長(1987年8月~2006年1月)も、その一人である。
サブプライムローン問題が本格化していた2007年7月に米国最大手の金融機関トップがいみじくも語ったように、「音楽が鳴り続けている限り、プレーヤーは踊り続ける」のが常である。音楽が鳴り止むタイミングを正しく認識することは容易ではない。そして人より先に踊りを止めることには相当の勇気がいる(あのバフェット氏でも間違う)。
客観的に、或いは事後的に見ればバブルが弾けていても、その事実を認識するまでにはラグが存在し、楽観論がはびこることは少なくない。他方で、ミニバブルが短期的な調整を経つつも弾けることにはならず、結果として大きなバブルに繋がることもある。
米国でインターネットブームに火が付いたのが1990年代半ば、そしてグリーンスパン元議長が「根拠なき熱狂」と株高に対して牽制したのが1996年12月である。しかし、1997年のアジア通貨危機、98年の大手ヘッジファンドLTCM破綻により、グローバル金融市場が動揺する中で、FRBは金融引き締めを停止、そして緩和に舵を切らざるを得なかった。
株式市場ではミニ調整を経つつ、1990年代末から2000年初頭にかけてのITバブル醸成に至った。そのITバブルが弾けたのは2000年3月であり、グリーンスパン元議長の「根拠なき熱狂」発言から3年あまり経過した後である。見方によっては、その間の株価下落はある意味で投資家にとって絶好の買い場となった可能性もある。
ITバブルを的確に指摘、警鐘を鳴らしていたのが、後にノーベル経済学賞を受賞したイエール大学のロバート・シラー教授である。教授はグリーンスパン発言と同名の著作「根拠なき熱狂」を2000年3月に刊行している。
そのシラー教授が考案した景気循環調整後の株価収益率(CAPEレシオ)は2020年9月初に約32と1996年12月やリーマンショック前の高値である2007年5月の約28を超え、歴史的にかなりの高水準にある。
ITバブル崩壊直前(1999年12月=約44)ほどではないが、世界大恐慌の契機とされる1929年10月の株価大暴落時とほぼ同水準である。9月16日のFOMCを節目に23日までの米国株の大幅下落は、こうした分析をベースとした「崩壊の始まり」なのではないかとの見方もある。
第4次産業革命の先取り論も
コロナショックにより実体経済が未曾有の打撃を受けている中で、代表的な株価指数が最高値を更新し、市場が膨張し続けることは持続可能か。確かに米国経済は4-6月期を底に回復に向かうことが見込まれ、そうした期待を市場が織り込んでいると見ることができる。
米国でも現状の超低金利局面がかなりの長期間にわたり継続することが見込まれ、歴史的な低水準にある長期金利を加味すれば株価がバブルとは言い切れない面もある。株価上昇を牽引している巨大ハイテク企業が高い成長性を有していることも否めない。正に100年に一度の技術革新(第4次産業革命)に直面している。
5G、自動運転、IoTなどに伴う新たなフロンティア拡大が見込まれ、その基盤を支えるAI、クラウドコンピューティング、サイバーセキュリティなど幅広い分野での技術やノウハウが進化していることも評価する必要がある。20年前のITバブル時よりもハイテク企業のビジネスモデルは格段に進歩している。そうした点を認識しつつも、二つの問題点を指摘したい。
一つは、市場の内部要因によって株価が嵩上げされている可能性である。例えば、ロビンフッターと称されている、コロナ禍で巣ごもりを強いられたデジタル指向の若者がスマホアプリを通してゲーム感覚で株式投資を積極化させている。
また、最近では一部のオプション取引によって株価上昇が増幅されている点も注目されている。そうした内部要因については、その実態や影響度合いを見極めることが難しいが、注視していくことが必要であろう。
もう一つは、株式市場の肥大化が実体経済との比較で行き過ぎた感があることだ。例のバフェット氏が着目する指標の一つに時価総額の対GDP比率がある。実体経済と比較した株式市場の規模感を示す指標であり、バフェット指数と呼ばれるものだ。
同指数はITバブル崩壊直前に150%超えとなり、バフェット氏は市場の過熱感、ひいてはバブルのリスクを図る物差しにしているとされる。同指数は一般的には100%を超えれば、実体経済以上に株式市場が膨張、株価の割高感を示すとされていたが、近年では100超えが常態化している。
米国企業のグローバル化が進めば100%を超えても眉をひそめる必要は必ずしもないが、昨今の急上昇は看過できない。足元では2020年4-6月期のGDP規模が約19兆ドル(年率換算)、9月初の株式市場の時価総額が約39兆ドルであり、バフェット指数は100%どころか約200%に達しており、過去最高水準であった。
実体経済以上の株価上昇は米国で深刻な社会問題となっている格差問題を助長しかねないのも理解できる。米国成人の株式保有比率は55%となっている(2020年3~4月時点)。2000年代半ばまでは60%以上であった保有比率は、時間の経過とともに徐々に低下しつつある。
日本では貯蓄から投資へと家計資産のシフトを促すことが重要な課題となっており、日本から見れば家計の株式保有が進んでいる米国はお手本とも言えるが、米国とて、たかだか50%強にすぎず、国民の半分近くは保有していないのである。
また、株式保有比率は人種、学歴、年収で大きく異なる。人種別では白人64%、黒人42%、ヒスパニック28%。学歴では大学院卒以上85%、大卒未満33%、年収別では10万ドル以上84%、4万ドル未満22%と格差は相当大きい。
しかも年々、株式保有期間が短期化し、1960年代前半=約8年。2019年末=8.5ヵ月。そしてコロナ禍の今年6月は5.5ヵ月まで短縮化している。株式保有構造を巡って大きな格差が存在する中での株価急上昇は持つ者と持たざる者の格差拡大を助長することにもなる。だから現在の株高はバブルであって、崩壊は必至なのだとの論理自体は正しいであろう。
しかし、時間軸を推定できない「論理」は市場関係者にとっては意味がない。過剰流動性論のベースに乗って、米欧日の流動性供給の縮小モードが灯り始めるのを見定めるのが現実的ではないか。