東京五輪招致の腐蝕の構造
森元首相の壮大な仕掛け
延長された東京五輪が来年7月に開催される可能性は、もはやゼロ%に近い。ワクチンが世界規模で投与されるのは早くても2022年後半であろうし、来年7月開催のタイムリミット(来年3月)までにパンデミックが完全な下火になる可能性もない。
ましてやIOCが今年10月にも結論を出すとなれば、答えは一つしかない。それはそれで止むを得ないし、膨大な金銭的損失や関連業界のショックはどうすることもできない。
ただ、どうして「2020東京五輪」招致が決定され、どの様な動きで開催決定に至ったのかは、今後の日本の政財界の在り方を占う上で極めて重要である。
2005年4月、森元首相が日体協(日本体育協会)会長に就任した。日体協は国体(国民体育大会)を主宰する。
森は存在意義が薄れる一方の国体を開会式に天皇が出席する行事として高く評価し、日体協の最高責任者としてそこに立ち会うことが最高の栄誉であると強く思い込んでいたようだ。なお、日体協は2018年4月から日本スポーツ協会に名称を変更した。
この日体協会長の座を狙う森にとって重要な鍵となった人物が、会長選考委員の一人であった日比野弘・日体協常務理事(国体委員長)だ。日比野は元早大・ラグビー部監督。
わずか4ヵ月で同部を辞めた森であったが、日比野はラグビーつながりで「森会長」を実現させるべく積極的に根回しをしたと言われる。日体協の会長就任から3ヵ月足らずの2005年6月、再び日比野の強力な推薦を得て、森は日本ラグビーフットボール協会の会長にも就任した。
首相経験者としての政治力を買われたのであろう。森は就任後、自らの権威を高めるために、すぐに2011年のラグビー・ワールドカップ第7回大会の日本招致の先頭に立った。
大会招致の大義名分として、ラグビーの後進地域アジアで普及・振興のリーダーシップを日本が取ることを強調した。裏を返せば、アジアのスポーツにおける日本の覇権主義を露わにしたと言える。だが、第7回大会の招致には失敗した。
その後、財政力を最大の売り物にして、今度は19年の第9大会の招致を目指し、09年7月に日本開催が決まった。ところが、社会人と大学のラグビー人気はかつてと比べて低迷。高校も部員数が減少し、複数の高校で連合しなければチームが結成できないケースも出現。そうした国内事情を反映して、ラグビー・ワールドカップへの関心は高まらなかった。
さらに、森の前に立ちはだかったのが競技場問題。ラグビーの国際競技連盟であるワールドラグビーの規定は、準決勝と決勝を行うメインスタジアムに8万人の収容能力を求めていた。国立競技場の収容人員は7万5千人なので、不適格であった。
そこで森は、国立競技場の建て替えを目論んだのである。とはいえ、日本で知名度の低いラグビーのために巨額を投じて巨大な新国立競技場を建設することは、到底受け入れられない。
では、どうすればいいか。折りから東京都は、2009年10月に、16年開催のオリンピック第31回大会の開催地投票でリオデジャネイロに敗れた。仮に2020年大会を招致すれば、オリンピックのメインスタジオとして新国立競技場を建設できる。
森はその実現のために権謀術数をめぐらすとともに、スポーツ界を牛耳る権力の掌握へと没頭していった。
2011年3月の密約
もともと、オリンピックに執着はなく、神宮外苑での新国立競技場建設にこだわっていなかった石原都知事は2020年東京五輪招致表明4ヵ月前の2011年3月までに知事選不出馬の意向を周囲に伝えていた。
ところが、石原都知事の後継と目され、同年3月に都知事選立候補をした松沢成文神奈川県知事が事前の世論調査で劣勢が伝えられたを機に森が直接、立候補取りやめを要請。松沢は何を見合い条件に提示されたかは不明だが、降りた。
ところが、東京五輪招致反対を掲げた東国原元宮崎県知事が周囲の人気を背景に急浮上。この情勢に危機感を深めた森元首相が一気に動いた。
当時の自民党幹事長は石原氏の長男伸晃氏。石原知事は周囲や伸晃氏の出馬要請に応じていなかった。関係書籍に森元首の証言が記されている。
東日本大震災前日の3月10日夜、赤坂プリンスホテルで石原父子と松沢、それに僕の4人が集まって話し合った。いろいろなやり取りの末、松沢さんは一応納得して「降ります」と言ってくれた。
ところが石原の親父はなかなか「やる」と言わない。伸晃も必死に父親を口説きましたよ。それで、明け方まで膝詰め談判をして、ようやく「やる」ということになり夜が明けたんだョ
なぜ、石原都知事は森元首相の説得に応じたのか。ズバリ、石原都知事が再選し、2020年の東京オリンピック招致を宣言してくれれば、森元首相が将来の首相に伸晃氏を推すと約束したのである。
実際、2012年の自民党総裁選は森元首相の出身派閥で再起を目指す安倍晋三と町村信孝の分裂選挙となり、石破氏が地方票で圧勝するなど混乱のさ中にあった。しかし、党重鎮であった森元首相は伸晃支持を条件に安倍を「指名」。結局、安倍が総裁選に勝利した。
つまり、赤プリの一室で森は「あなたが知事選を降りたら党幹事長でもある、この伸晃クンのためにならない。将来の首相の芽はなくなるよ」と詰めの言葉でたたみかけ、最後に石原都知事が「必ず息子を頼みますよ」と折れたのである。
2011年4月、四選出馬で当選した石原都知事は約束通り、同年7月、2020年東京オリンピック招致を表明。JOCは同年8月、IOCに立候補申請。
と同時に東京都は、オリンピックのメインスタジアムを国立競技場とし8万人収容施設として規模改築の方針を打ち出したのである。
この点も石原都知事と森元首相の密約であり、「メインスタジアム建設場所を晴海から神宮外
苑に変更する」との森元首相の究極の狙い=「神宮外苑大再編構想」が早々と表舞台に登場することとなった。
竹田JOC会長と東京開催決定
2019年3月、JOC理事会で竹田恒和会長がJOCの委員も含めた「退任表明」をした。東京大会招致に関する贈賄疑惑については「不正なことは一切していない。潔白をしっかりと証明するよう今後も努力する」と言及した以外、なぜ退任なのかは一切触れることはなかった。
しかし、当日、JOC関係者は奇妙な発言をした。「JOC会長の退任は当然としても、IOC委員まで辞める理由がわからない。辞任するようバッハIOC会長から引導を渡されたとしか考えられない」と。
つまり、フランス司法当局による捜査で竹田氏の贈賄が明らかになれば買収された委員が暴き出され、IOCへも飛び火する可能性は大いにある。それを避ける意味でも竹田氏のIOC委員退任が好ましいとバッハ会長は考えたのだろう。
なにしろIOCには、2002年の冬季ソルトレークシティ大会の招致を巡る大掛かりな贈収賄事件で、10人のIOC委員の解任や辞任という深い傷を負った過去がある。同じことを繰り返せば、組織の存亡に関わる深刻な事態に陥る危険があるからだ。
とくに重要なのは、竹田氏がシンガポールのコンサルタント会社と契約するに至る経緯で見え隠れする、電通との関わりである。
電通=政商が東京招致を誘導
竹田氏が現在もフランス司法当局の捜査対象としてマークされていることは間違いない。容疑発覚は2016年5月の英紙ガーディアンのスクープだった。
「東京オリンピック招致委員会がパパマサッタ・ディアク氏(国際陸連前会長ディアク氏の息子)に関係するシンガポールの銀行口座に1300万ユーロ(約1億6千万円)の送金をした疑惑がある」と報道。
一方、フランスの検察当局は翌日、「パパマサッタ氏に280万ユーロ(約2億2千万円)が支払われた疑いがある」と発表した。振込み先は、パパマサッタ氏と親交のあるシンガポールのコンサルタント会社=ブラック・タンディングス社(BT社)である。
オリンピック招致委員会理事長だった竹田氏は、BT社に2回に分けて2億3千万円を送金したことを認めたうえで、「業務に対するコンサルタント料」と延べ、疑惑を否定したままだ。
衆院予算委員会は調査チームを結成して調べたが捜査権なし。JOCに近い弁護士らでの構成ということで「違法性なし」との報告書で決着を図ったつもりだった。コンサルタント料の使途さえ明らかにされないまま、忘れ去られようとしていた。
ところが2019年1月、「フランス司法当局が竹田しを容疑者とする捜査の開始を決定」とル・モンド紙が報道。しかも、この報道の中でパパマサッタ氏のIOC委員たちへの関与度合が明白になったことで一気に疑惑が再浮上した。
では、竹田氏とパパマサッタ氏とを仲介した人物は誰か。竹田氏は、こう発言している。「BT社がコンサルタントとして実績があるのかどうか電通に問い合わせ、国際陸連に強いコネを持っているとの報告を受けたので契約した」。
言い換えれば、BT社は電通のお墨付きを与えられたことになる。BT社はペーパーカンパニーで、同社の代表とパパマサッタ、ディアク親子を結ぶトンネル会社だったとの見方もある。
事実、シンガポールのBT社の所在地は簡素なアパートで、看板もないという。つまり2億3千万円はパパマサッタ、ディアク親娘を通じてIOC委員の投票の買収に使われた疑いが強い。電通はそうした実態や疑惑の可能性を承知のうえで、「実績有り」と報告したとしか考えられない。
一連の過程で、電通の元専務取締役で、退社後も大きな影響力を持ち、オリンピック組織委員会理事にも名を連ねている高橋治之氏(理事名簿に記載された肩書は(株)コモンズ代表取締役会長)の存在が浮かび上がってきた。他の理事は、政治家、元オリンピック選手、スポーツ関係団体幹部などであり、一人だけ異色の肩書である。
電通は長年にわたって国際陸連のエージェント権を獲得し、世界陸上選手権などのマーケティングを手掛けてきた。そのなかで、高橋氏はディアク氏と親交を結んできたと言われている。
一方で、1944年生まれの高橋氏は竹田恒和JOC前会長の兄と慶応幼稚舎からの同級生であり、恒和氏とも親交が深い。それらを総合して、高橋氏が票集めを期待できるディアク氏につながるBT社との契約を竹田氏に持ちかけた、という見方がされている。
2016年5月24日の衆院文教科学委員会では、松沢成文議員(2011年3月の4者密約で登場した)が参考人として呼ばれた竹田氏に対して、「高橋氏が今回のBT社とJOCの契約の中に絡んでいた、別の言葉で言えば竹田会長は高橋氏に相談しながら、この契約を進めたのではないか」と指摘。
「高橋氏については疑惑が多過ぎます。オリンピック組織委員会の理事は降りていただく」とも伝えた。
さらに月刊誌「FACTA」(19年5月号)によると、同誌がオリンピック招致委員会が、みずほ銀行東京中央支店東京都町出張所に開設した普通預金の入出金記録を調べたところ、高橋氏が経営する株式会社コモンズに、17回に分けて合計9億5824万1250円が振り込まれているという。
これは、電通への振り込み額の3倍近い金額である。東京開催が決まった前後の2013年8月~11月には、合わせて約4億1千万円が振り込まれている。しかし、現在も一体、何のための金かは解明されていない。
2013年9月の東京五輪決定の裏側で、以上の動きがあったとは国民は知らない。森元首相が、まさか壮大な利権を狙い、竹田JOC会長・高橋治之・電通がIOC委員の票獲得で贈収賄に関与したとは夢にも思うまい。
今、新型コロナウィルス関連の「持続化給付金支援事業」で中央官庁と電通の癒着構造が問題として浮上しているが、これだけの「東京五輪招致」への貢献がベースにあれば政府・自民党としては当然の帰結であろう。
また、仮に来年の東京五輪が中止となっても「森-石原」密約を石原伸晃幹事長の同席する部屋でした以上、ポスト安倍の流れに森元首相が介入してくるのも目に見えてくる。
森氏は存命せずとも「石原首相誕生に向け、俺は約束どおりに駒を進めたゾ」との遺言的派閥人事に手を染めるであろう。