SDGsという名のビッグビジネス
胡散臭い標語そのもの
数年前から SDGsというお題目が流行り出した。
鵜の目鷹の目で、政治的・経済的なヘゲモニーを握るためのキャッチコピーを探している人々にとって、 SDGsは恰好のスローガンになっている。
SDGsを掲げさえすれば、自分たちに有利な政策が遂行できるとばかり、SDGsの大合唱に余念がない。
一つの目標を掲げて脇目もふらずにそれに向かって邁進するという構図は勇壮で、当事者の脳内にはドーパミンが分泌されて、ポジティブな興奮を誘うことは間違いないが、太平洋戦争中の「鬼畜米英」や「欲しがりません勝つまでは」を顧みるまでもなく、メリットとデメリットを勘案することなく猪突猛進するのは、ほとんどの場合クラッシュへの道であることは歴史が証明している。
SDGsは「持続可能な開発目標」と訳されているが、冷静な頭で考えれば「サスティナブル」と「デベロップメント」は矛盾する。
持続可能とはほぼ定常状態を取り続けることであるから、開発して生態系を改変すれば、持続可能性は失われてしまう。
「デベロップメント」を続ける限り、ゴールには行きつかない。
好意的に解釈すれば「デベロップメント」の許容限度を示して、そこで止めれば「サスティナブル・ゴール」に辿り着くということかと思うが、SDGsの17の目標にはそんなことは何も記されていない。
17の目標についてすべてコメントすると、読む方が疲れて当リポートを飛ばしてしまう恐れがあるので、重要な項目に限って筆を進める。
人類の存続にとっても個々人の生存にとっても、最も重要な課題は食料とエネルギーの供給問題である。
SDGsの目標の1と2は「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」であるが、現在の世界人口80億人に充分な食料とエネルギーを供給することは極めて難題である。
20世紀初頭、世界人口は16億5千万人であった。このくらいならば、現在の技術力をもってすれば目標の1と2を実現することは難しくはない。
そのことを考えれば、SDGsにとって喫緊の目標は「世界人口を平和的な方法で、徐々に減らしていこう」ということ以外にないはずだが、そんな目標はどこにも記していない。
現在の世界の政治・経済を牛耳っているグローバル・キャピタリズムは、安い労働力と膨大な数の消費者を必要とするので、原則的に人口減は好ましくないからだ。
しかし、この地球上で利用可能な食料とエネルギーには限りがあるので、人口増が止まらない限り、いずれクラッシュは免れない。
グローバル・キャピタリズムにとって経済成長は外すことができない看板だとすれば、最も重要なことは人口を徐々に減らしながら、経済成長を止めない方策を考えることだが、SDGsの目標にはそんな話も書いていない。
一応、「8=働きがいも経済成長も」というお題目は書いてあるが、それが「サスティナブル」とどう結びつくのかということも記していない。
17の目標は個々に見る限り、それ自体は文句の付けようがないが、あちらを立てればこちら立たず、といった、よく考えれば矛盾する題目も多く、SDGsを金儲けの手段として利用したい人たちは、自分たちに最も都合がいい目標をスローガンに掲げて、たとえて言えば、水戸黄門の御印籠のように、反対意見の有無を言わせず黙らせるために使っているように見受けられる。
チマチマとレジ袋有料化とは
さて、この地球上には人類ばかりでなく多くの野生生物も生息しているので、野生生物の生存もある程度保証しなければ倫理にもとる、というのは多くの人に支持される思想だろう。
17の目標の中には「14 海の豊かさを守ろう」「15 陸の豊かさもまもろう」というのがあることからも、それが分かる。
ところで、人類も含めてこの地球上のすべての従属栄養生物(動物・菌類といった光合成が出来ない生物)は独立栄養生物(植物やシアノバクテリアといった光合成が出来る生物)が作り出す炭水化物に依存して生きている。
陸上生態系について言えば、植物が光合成で作り出した炭水化物の中から植物自身の生存のために使った残り、すなわちNPP(純一次生産量)は年間564億トン(炭素量換算)である。
これが陸上生態系の従属栄養生物が年間に利用できるすべての食料ということになる。
人類はこれを野生生物とシェアして使っているわけだ。人類の取り分が増えれば、野生動物の取り分が減ることになる。
全世界の穀物生産量は年間26億トンで、世界人口80億人に公平に分配すれば、一人当たり325キログラムとなり、これは日本人の年間1人当たりの穀物消費量150キログラムの倍以上であるから、計算上、穀物は充分足りているように見える。
しかし、実際の相当量は家畜の餌に回されている。
穀物から家畜の肉への転換効率(1キログラムの肉を作るのに何キログラムの穀物が必要か)は牛で7、豚で4、ニワトリで2.2なので、全世界の人に充分な量の肉を供給しようとすると、穀物生産量をさらに増やす必要がある。
穀物や肉の生産量を増やすために、原野を切り拓いて耕地や牧場を開発すれば、そこに暮らしていた野生動物の数は減る。
タンパク源を海洋資源に頼って、魚介類を乱獲すれば、海洋生物の多様性は脅かされることになる。
しかし、80億人に充分な食料を供給するためには、さらに食料を増産する必要がある。
結果的に陸の豊かさも海の豊かさもある程度犠牲にせざるを得ない。
根本的にはNPPを人類と野生動物でどのようにシェアするか、そのための方策はどうするか、ということを考えなければ「サスティナブル・ゴール」には至らない。
しかし、実際は実効性のある政策は棚上げにして、例えば海洋汚染の原因になるプラスティックを削減するという名目で、レジ袋の有料化といった姑息なやり方でお茶を濁しているのが現状だ。
プラスティックは燃やしてしまえば海洋に流出しないのだから、何をやっているのか分からない。
まるでズレているのだ。人々はゴミ捨て用として別途、大量のレジ袋状のゴミ袋を購入しているだけだ。
・・・
続きは「イーグルフライ」の掲示板でお読みいただけます。
(2023/03/06の「イーグルフライ」掲示板より抜粋しています。)
関連記事
https://real-int.jp/articles/1988/
https://real-int.jp/articles/1989/