ポスト習近平とされる政治局常務委員
丁薛祥氏が一気に浮上か
中国共産党政治局常務委員(チャイナ・セブン)の新メンバーの序列第6位に、丁薛祥( テイ セツショウ)という人物が、いきなり登場した。
他の序列メンバーは、各々、段階的に党内もしくは政府組織の要職を重ねながら、習近平総書記に釣り上げられた形であるが、この人物だけは突然浮上してきた形だ。
年齢は60歳と最も若い。
ただ、チャイナ・ウォッチャーのほとんどは、「習氏の言いなりになる技術畑の人物」と捉えていて、特にリマークしていない。
だが、習総書記の「覇権構想」全体像から見ると、この人物が「ポスト習」の最右翼になっていくと見定めるしかない。
習近平が初めて中央総書記に就任した2012年11月の第18回党大会の「全国代表」にも、丁氏は選ばれていない。
上海市政法委員会初期だったが、上海市の「全国代表」枠73人にもなっていなかった。12年7月に党中央が公表した2270人の事実上の「党幹部」にも当然ながら含まれていない。他のチャイナ・セブンメンバーは、この段階で既に全員、記載されていた。
ところが、その第18回党大会で、丁氏は中央委員候補(中央委員205人に準ずる171人)に選出されている。
2270人の「党幹部」にもランクされていない人物が、一日にして上位196人の中に登場したことを意味する。
そして、習近平政権が誕生したあとの2013年5月に党中央弁公庁副主任兼中央総書記弁公室主任(党中央の秘書室ナンバー2と習総書記の筆頭秘書という地位)に抜擢された。
さらには習近平に寄り添うような姿が最初に公にされたのが、2013年5月16日の天津での「習視祭」。
つまり、2013年5月に始めて丁氏の中央幹部としての姿が公になったことになる。完璧に習近平による「奇跡の二段飛び」人事だ。
なぜ、習近平が丁氏を大抜擢したのか。確かに習氏は2007年3月~10月まで上海市で技術専門家の丁氏と接触はしている。
しかし、「そう言えばアイツは頑固一徹な技術屋だったナ」と気に入った記憶だけで、ここまで抜擢はしまい。
実は習近平は最初に党中央総書記になった(2012年11月15日)直後に、「ハイテク国家戦略」を打ち出している。
同年12月には中国政府のアカデミーの一つである中国工程院の院士(博士学位より上に
位置付けられているアカデミー会員)たちを集めて「中国製造2025」に関する諮問委員会を立ち上げている。
これは取りも直さず、「ハイテク国家戦略」が、2007年にチャイナ・ナイン(胡政権時代の政治局常務委員)の一人になり、08年に国家副主席になったときから、2012年に総書記になるまでの間に、習近平が練ったアイデアであろう。
つまり、この「ハイテク国家戦略」構想のベースを習氏のイデオロギー的指南者は一貫して、王滬寧( オウ コネイ(序列4位。全国政治協商会議主席)だが、ハイテクの技術分野に関しては恐らく、この丁氏がイニシアティブを握るものと思われる。
一方、米国は今、経済成長する中国をあの手この手で潰して、中国が米国を凌駕しないようにするのに必死だ。
その米国に潰されないようにするためには「ハイテク国家戦略」で勝負するしかないと見定めている。
中国はすでに宇宙空間において米国を凌駕しようとしている。
と言うか、ウクライナ戦争でロシアが米国主導の国際宇宙ステーションから抜けるので、少なくとも宇宙空間においては、すでに中国が勝者となったと言っても過言ではない。
今後もハイテクノロジーに重点を置いて国家運営を進めていくとすれば、「技術畑の男」=丁氏以外に、中国の運命を引き受ける力量のある人物はいないということになる。
中国は世界一の「製造大国」で、米国のパソコンや家電製品を含めた日常生活におけるハイテク製品は、ほとんどすべて中国から輸入し、米国では製造していない。
米国の製造業は完全に空洞化してしまっている。
そこを突いて米国に潰されないようにするためにも「技術畑の男」丁薛祥は、中国の世界的覇権にとって不可欠な人物という結論になる。
では、この人物の経歴はどうなっているのか。
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(この記事は 2023年2月5日に書かれたものです)
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