岸田首相は安倍式政治を継げるか
★★★上級者向け記事
経産省主導の官邸リフレ政策へ
「ドン・キホーテのような面がなければ歴史は動かない」
「政治指導者には“狂”の要素が必要だ」
「使命のある政治家と、そうでない政治家には絶対的な違いがある」
安倍の側近は、よくこんな宰相論を口にしたという。
さらに「朝日新聞などのリベラル左派系のジャーナリズムには安倍を理解できない。それはやっぱり、いわゆるエリートだからで、財務省や外務省のキャリア組も含め、そうした勢力はすべて守旧派だ」とも口走った。
そう口走っていた安倍側近代議士もエリートなのだが、もともと属していた派閥の中では必ずしも本流ではなかったし、何より、その中枢メンバーは第一次安倍政権の失敗という強烈な挫折経験を共有していた。
そのうえでの長期政権化を実現したわけで、結局、「結果オーライ」的政治哲学にすぎまい。このままでは国家財政は破綻する。
現職の財務事務次官である矢野康治氏が、月刊誌文芸春秋11月号にそんな論文を寄稿し、与野党のバラマキ合戦を批判する異例の内容として大きな波紋を呼んだ。
省内で定められた手続きを踏み、麻生財務相(当時)の了承も得たうえでの行動だったという。それでも安倍は矢野論文に激しく怒り、一時は引責辞任まで取り沙汰された。
「情念と情念のぶつかり合いだから」
財務省自体は特段、とんでもない事態と捉えている様子はない。矢野氏自身は菅前首相に見いだされ、省内の非主流派から次官にまで上りつめた人物だが、彼が寄稿で主張した財政規律論や財政再建論は、財務省の伝統的かつ基本的な考え方である。
国家予算の配分権を握り、政治力にも長けた最強官庁。そのトップに情念を抱かせた源泉こそ、異形の経済政策「アベノミクス」だった。
2012年末に首相に返り咲いた安倍はまず、経済政策のパラダイムシフトを宣言した。金融政策を官邸主導に切り替え、日銀の独立性をうたった日銀法の改正をちらつかせて、2%の物価安定目標を掲げさせた。
安倍は「マクロ経済政策のレジームチェンジ」と表現した。物価が下がり続けるデフレは貨幣現象に過ぎず、金融政策によって変えられる。
日銀がもっと大量のお金を市場に供給し、人為的に緩やかなインフレを引き起こせば、デフレから脱却して景気を上向かせることができる。
安倍が我が意を得たりとばかりに採り入れたのは、経済学の世界で異端視されていた「リフレ派」の理論だった。
安倍は著書「新しい国へ-美しい国へ」(文芸春秋版)で次のように述べている。
=野田総理や日銀は「日銀の独立性を脅かす」「財政規律がゆるむ」という批判をしました。
私はこの議論に対し、世界的に有名なイエール大学の浜田宏一教授から連絡を頂戴しました。
「ゴルフに例えれば、今の日銀は雇用改善、景気回復という目標のホールを目指さずに、ホールの向こう側には「有りもしない」崖があると称して、バンカーに入ったボールをホールの方向に打たない、あるいはパターでしか打たないゴルファーのようなものです」(浜田教授)。
彼は白川前日銀総裁の恩師に当たる人物であります。この金融論争においては、市場が示す通り、勝負あったと思っています。安倍は民主党政権末期にリフレ政策に傾斜していったとされる。
第一次政権で財務省出身の首相秘書官を務めた田中一穂財務次官は、安倍に直接、「とんでもないことですよ。国債金利が下がります」と談判した(朝日新聞15年12月1日付)。
たとえ側近であれ、財務省が説得すればするほど、逆効果だったことは想像に難くない。周辺によれば、安倍はその後、「MMF」(現代貨幣理論)にも共鳴していったという。
自国通貨建ての国債を発行できる国はデフォルトに陥ることはないとして、財政赤字の拡大を容認する考え方だ。これもまた、主流派の経済学者らが批判する異端の論理である。
「安倍さんは本当の意味では、経済政策に興味がなかった。日銀の嫌がる金融緩和を飲ませたかっただけだ」と安倍官邸の元高官は「自分もまた戦犯だ」と呻吟しつつ述懐する。
“財務省政権”とも言われた民主党の野田政権は、「社会保障と税の一体改革」を推し進め、民自公の3党合意で将来の消費税増税を決めた。
ところが、予定されていた消費税率10%への引き上げは、“経産省政権”と称された安倍政権のもと、2度にわたって延期される。
固唾をのんで「悲願」の実現を待つしかなかった財務省は、長期政権の歳月を経て最強官庁の面影を失っていった。
「矢野論文」は財務省権力復活へのノロシであり、ポスト安倍・菅への警告でもあった。
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(この記事は 2021年11月22日に書かれたものです)