物語 ディーラーは死なず

為替ディーラー物語『ディーラーは死なず』
日々の外国為替相場にリンクして進行するディーラー物語。相場動向を物語にしているため、相場で何が起きているのか相場を疑似体験でき、相場の本質の理解に役立ちます。
前回の物語は、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/2283/
最終章 第19回 (最終回前)「 予想外の証人 」
これから大阪に出張するという。経済フォーラムで「来年の世界経済」をテーマとする講演を依頼されていたそうだ。
いつもなら、かなり前に出張スケジュールを伝えてくる東城だが、この件の連絡はなかった。
「いつお戻りですか?」
「今晩かな」
「そうですか。お気をつけて」
‘何となく不可解だ’
ドル円相場はその日の午後、心理的節目の110円丁度を付けたが、そこからは積極的なドル売りもないまま、翌日(水曜日)には110円台後半へと値を戻していた。
査問委員会は3時から開かれることになっている。
「そろそろですね?」沖田が気遣う様に言う。
「そうだな・・・。ニューヨークの二人は落とせそうだが、あの二人(田村・嶺)を落とすのは難しそうだな」
「残念ですね」
「ところで、どうだドル円は?」
「短期のオシレーターを見ると、少し売られ過ぎでしょうか?」
「そっか、イギリスはボクシングデイの休日だし、マーケットも薄いから、ポジション調整で111円台半ば位までは戻すかもな。一応、週末まで25(111円25銭)で100本の売りを出しておいてくれないか」
「了解です」
「それじゃ、上に行ってくる」そう言い残し、役員用の小会議室へと向かった。
会議室は10人用にしては大きめの横長の部屋で、日比谷通りに面し、皇居の森に臨む。部屋の形状に合う様に、重厚なオーバルテーブルが置かれている。
メジャーバンクの雄であるIBTの本店らしい設えだ。査問される立場のニューヨークの清水支店長とトレジャラーの横尾は、窓に向かって座ったが、座位では皇居の森を見ることはできない。
査問する立場の島人事部長、松岡コンプライアンス室長、それに管理部門担当の林常務が窓を背にして座った。オーバルテーブルの南側に嶺常務と田村部長が、そしてその反対の北側に東城本部長と俺が、参考人として座った。
全員揃うと、速やかに島が委員会の口火を切った。
「それでは、これからニューヨークの清水支店長と横尾君が現地雇員にとった行為、並びに横尾君の内部情報漏洩についての査問委員会を開催します。
これに先立って、まずは松岡コンプライアンス室長から調査結果の報告があります。それでは、松岡室長、宜しくお願い致します」
「この場は行内で生じたコンプライアンスに関わる事案の裁定の場であり、いわゆる裁判ではありません。従って、判定は白、黒という言葉でお伝え致します」
そう切り出した松岡は、証拠となる文書やDiscを精査した結果、いずれの事案も黒と判断した旨を述べた。
松岡の話を島が受け継いだ。
「裁定は、私、松岡室長、それに林常務の三人が議論に議論を重ねた上で下したものです。これについて清水支店長、横尾君、何か反論あるいは意見はありますか?まずは、現地雇員に取った行為についてですが、如何でしょうか?」
清水が挙手をし、意見を述べたいと発した。
「どうぞ」島が淡々と言う。
「あれは、横尾君が勝手に私の名前を列記し、雇員に宛てた書面であって、私は預かり知らないことだ」
清水がふてぶてしく言い放った。
「えっ、それはないでしょう、支店長。私はあなたにドラフトを見せ、それで良いと言うので、正式な書面として彼にメールした」横尾が憤って言う。
「ほう、その証拠は?」清水が切り返す。
「清水さん、私はあんたが小狡いのをよく知っている。だから、あんたが見たという確認のサインをドラフトに取り付けた。それを私は保存してますが?」
横尾はもう支店長ではなく、清水、そしてあんた呼ばわりだ。
「あんな簡単なサイン、お前が真似て書いたんだろう?」
清水は飽くまでも、白を切るつもりだ。その時、どこからか清水の言葉を叱責する重みのある声が会議室に響き渡った。
「清水君、見苦しいぞ。いい加減で、その辺にしておいたらどうなんだ」
頭取の中窪の声だった。いつの間に会議室に入ったのか、ドアの近くに立っていた。中窪の言葉は止まなかった。
「清水君、何なら筆跡鑑定に書けてもいいんだが、どうなんだ?」
清水は返す言葉を失った様子で、俯いたままだった。
そんな清水を無視し、「進行を遮って悪かった。松岡君続けてくれたまえ」中窪が松岡に促した。
「それでは、横尾君の内部情報の漏洩に関する事案に移らせて頂きます。横尾君、君は本事案について、事実を認めますか?」
松岡の口調は強い。
「はい、認めます。申し訳ございませんでした」
中窪が会議室にいるせいか、神妙な面持ちである。
「そうですか。それでは、二つの事案について、当委員会では最終的に黒判定としますが、島部長、林常務、宜しいでしょうか?」
「異議なし」島・林は同時に声を発した。
それを受けて、松岡が続けた。
「処分については、当委員会並びに然るべき役員の方々に諮った上で、両名にお伝えすることとします。ところで、本会議には参考人として嶺常務をはじめ、四人の方々にご出席願っています。
四人の方々には議事進行中の発言権はありませんが、既に最終判定が出ましたので、最後にご意見があれば、どうぞ」
‘この一言を待っていた。一か八かだ’
「松岡室長。本件と同時に調査をお願いしました、私に対するハラスメントについて、進捗状況なり、ご意見を賜れればと存じますが?」
「仙崎君、過日も述べた通り、何分にも古い話です。私から意見を述べるのは難しい。証人でもいれば別ですが・・・。
でも、折角ですから、君がハラスメントを加えたとする人物、つまり田村部長の意見を聞いてみますか。田村部長、よろしいでしょうか?」
「はっ、何のことか分かりませんが、私にやましいところはありませんので、どうぞ」
語尾が少し震え、多少狼狽えている様子が窺える。
「そうですか、それではお聞きします。田村部長、あなたは9年前、仙崎君に対して罠を仕掛ける様なハラスメントを行ったことはありますか?」松岡の声に緩みはなかった。
「いえ、全く記憶にありあませんが・・・」言
葉が続かない。
「あなたが外国為替課長だった頃、あなたの心無い罠に嵌り、仙崎君がディーリングで億を超える損失を出した件と言えば、何か思い当たりますか?」
松岡が厳しく追及した。
「ああ、例の件ですか。あれは彼が不用意にもサイド(売りと買い)を間違えた結果の大ロスですよ。あの時、私が会議で離席する際に‘ある生保がドルを買ってくるかも知れないから気を付けろ’と言い残しただけですが、それが罠だと言うんですか?」
田村は飽くまでもふてぶてしい。
「そうですか・・・。ただ、仙崎君は、あなたがはっきりと‘生保が数百本ドルを買う’と言っていたと話していますが、それをあなたは否定するのですね。仙崎君はあなたの言葉を信じて事前の対応をしたが、生保の取った行動は全く逆のドル売りだった。
いくら仙崎君の様な優秀なディーラーでも、それでは対応仕切れませんよね。あなたは巧妙に策を練ったのではありませんか?」
「松岡さん、既にあんたは私を罪人呼ばわりしてるが、何か根拠でもあるのか、えっ?」
口ぶりは一流銀行の部長のそれではなかった。
「そうですね。根拠というか、証人ならいますが。時間の無駄ですから、ここに呼びましょうか。島部長、彼を部屋に連れてきてください」
誰かが会議室の外にいる様な口ぶりだ。数分後に会議室に現れたのは大阪支店の木戸だった。
今は大阪支店の融資第一部の次長を務める木戸は、9年前に外国為替課長だった田村の一番の部下だった。慌てたのは田村だけではなく、それまで話のやりとりを素知らぬ顔で聞いていた嶺常務も狼狽し出している。
部屋に少し異様な空気が漂い出したのを感じた松岡は、「少し休憩しますか?」と提案したが、頭取の中窪がそれを制して「続けてくれ」と言った。
「それでは、続けさせて頂きます。木戸さん、時間がかかっても構いませんので、9年前のことを少し詳しくお話し願えませんか?」松岡の口調は丁寧だ。
かつての上司の目の前で、その悪事を暴く以上、それなりの覚悟が必要だ。そんな木戸の心情を気遣ってのことである。
木戸は一時間ほど、とつとつと語った。罠を仕組んだのは田村であり、それに加担したのは自身と同僚の大竹だったという。
大竹も木戸自身も‘手を貸さないのなら、お前等は国際畑に居られなくなる’と脅されたそうである。さらには、田村をそう仕向けたのは、当時はまだ本部長だった嶺常務だったことも話してくれた。
当時の国際金融本部は住井銀行出身の常務が頂点に立ち、その片腕が実力では抜きんでていた東城部長だった。
そして二人の間に挟まれ、地団太を踏んでいたのが日和出身の嶺本部長だった。
「そうですか。木戸さん、よく思い切って話してくれました。もうお引き取り頂いて結構です」松岡が労う様に言った。
ドアに向かい歩き出した木戸に、田村が「貴様、俺を裏切りやがって」と罵声を浴びせた。
木戸はそれを無視した。そして静かにドアに手をかけながら、一瞬俺の方を見て、僅かに微笑んだ。俺は右手の親指を少し立て、笑みを返した。
‘あの笑みは、借りは返したという意味か。ありがとう、木戸さん’
「さあ、もうこれで十分だろう。こんなことばかりに気を使ったり、時間を費やしていては、うちの将来が危ない。嶺君、清水君の処分は役員会議で決める。田村君、横尾君の処分は島君に任せる。
ちなみに本件では、東城君や仙崎君にも何等かの減点を付けざるを得ないな。それは私が決めるが、それで良いかな」
委員会は、中窪頭取の有無を言わせぬ言葉で終わった。一同は起立し、会議室を出て行く中窪に深々と頭を下げた。散会後、松岡の部屋に向かった。
「ハラスメントの件、木戸さんを証人として連れてきて頂き、ありがとうございました。それにしても、いつの間に木戸さんとコンタクトを取っていたんですか?」
「私じゃありません。君のことを常に考えている、そして君を一番信頼している、あの人が木戸君に頭を下げて連れてきたんですよ」
「えっ、東城さんですか」
‘そう言えば昨日、大阪に出張に行ってたな。そういうことか’
「あの人は、本当に君のことを思ってくれてるな。羨ましいよ、あんな上司に恵まれた君が」
「本当ですね。いずれにしても、一連の件、ありがとうございました」礼を言って、その場を辞した。
「本部長、仙崎です」執務室のドアをノックしながら言う。
「おう、入れ」いつもながらの低い落ち着いた声が返ってきた。夕闇でかすかに輪郭だけを残す皇居の森を眺める東城の姿が窓際にあった。
「本部長、大阪出張の目的、講演じゃなかったんですね?」
「どうした?入ってくるなり、そんな質問をして。いや、講演が目的だったが。まあ、支店にもちょっと寄ったけどな」
背中を向けている東城の表情は窺えないが、窓に反射して見える顔は少し笑っている様だった。
‘あいかわらずだな’
「本部長、そっちへ行っても良いですか?」
「もちろんだ。下を見ろ、綺麗だぞ」日比谷通りを幾筋もの車のヘッドライトが南北に行き交っている。
「ほんとに綺麗ですね」
「正月はどうするんだ?よかったら、うちに遊びにこないか?」
「ありがとうございます。ただ、母に帰ると言ってしまったので・・・。それとまだ、彼女がこっちにいるので、そのケアも」
「へぇー、そりゃ、うちに来るより彼女といた方が良いよな。のろけやがって」と言いながら、軽く握った拳を頭の上に落としてきた。
部屋に二人の大きな笑い声が広がった。二人共、頭取の裁定を待つ身となったが、‘気分は爽快’だった。
ドル円相場は、クリスマスの火曜日に110円丁度を付けた後、111円台前半まで反発したが、週末には再び110円台前半へと押し戻された。
国際金融新聞の木村に頼まれている相場予測もテレビ番組の出演も、もう完全に沖田の仕事に振り替わっている。
沖田の来年の予測によれば、「ドル円、100円割れもあるか」だった。
‘そうかもな’
志保は昨日(金曜日)から帝国ホテルを引き払い、四ツ谷にある実家に戻っている。年明けの三日にはまたホテルに戻るというが、それまでは一人だ。
‘社宅で迎える一人の週末はやはり侘しいな’
デスクの上に置きっぱなしだったラフロイグのボトルを手に取り、琥珀色の液体をグラスに注ぐと、ベッドへと向かった。ベッドのヘッドレストに頭を凭れて、目を瞑った。
BGMに流しておいたコルトレーンのアルバム’Ballads’が心に沁みる。既にトラックは4曲目の‘’All or Nothing at All‘’に差し掛かっていた。
‘中途半端はだめってことか。志保との関係もこのままじゃ拙い。来年には右か左か、決める必要がありそうだな’
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