物語 ディーラーは死なず1

為替ディーラー物語『ディーラーは死なず』
日々の外国為替相場にリンクして進行するディーラー物語。相場動向を物語にしているため、相場で何が起きているのか相場を疑似体験でき、相場の本質の理解に役立ちます。
前回の物語は、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1747/
エピソード1 収益改善
第28回 不意打ちの電話
米11月雇用統計は良好だったことから、先週末のドル円は高値引けとなった。
週初(11日)のドル円はその地合いを受け継ぐ格好で堅調に推移したが、市場は114円台を試そうとはしない。
海外でも積極的なドル買いは手控えられている様だ。週半ばにFOMCの政策決定を控えていると言っても、ドルの力不足は否めない。
現在のポジションは14円前半の50本(5000万ドル)のショート、12円前半の50本のロングである。どうやらまだ、ショートを根っことして抱えておいた方が良さそうな気配だ。
火曜日の夜中、少しビッド気配となった頃合いを見て、ニューヨークの沖田に電話を入れた。
「今、大丈夫か?」
「はい、少し落ち着いたところですから、問題ありません」
「そうか、円(ドル円)*はビッドの様だが、どんな感じだ?」
「はい、上は75(13円75銭)までですが、PPIが良かったので、明日のCPIにも期待が掛かっている様です。特に大所が動いている感じではなく、買いはジョビングだと思いますが・・・」
「分かった。50本、売ってくれるか?」‘ここで売って、12円台前半のロングを手仕舞っておこう’
「アベレージ65(13円65銭)で売れました」
「じゃ、63で良い。2銭は今夜のお前の飲み代だ」
「随分と大きな飲み代ですね。部の全員を連れて行ってもたっぷりお釣りがきますね」
「そりゃそうだ」二人の笑い声が共鳴した。
「ところで、ご家族は元気か?はい、こっちで迎えるクリスマスも今年が最後ですから、家内も子供も随分と豪勢なオーナメントを飾りつけたりして楽しんでる様です」
「そうか、それは良かった。まあ残りの数カ月、フロリダへ行くなり、バハマへ行くなり、楽しんでこい。それじゃ、どうもありがとう」
これで、ポジションは14円台前半の50本のショートだけになった。
‘何とかこれが根っこのポジションとなってもう少し活躍してくれれば良いが’
翌水曜日のニューヨークの午後、FOMCは追加利上げを決定した。
利上げは予想通りだったが、ドットチャート(FOMCメンバーの政策金利見通し)に変化が見られなかったことでドル買いの目は消えた。
FOMC後の記者会見ではイエレン議長が物価に対して弱気な発言を行った。
朝方に発表された11月のCPIが総合・コア共に予想を下回った結果となった後のこの発言、市場がドル売りに傾かないはずはない。
翌日の木曜以降はドルの下値を試す展開となり、週末のロンドンの朝方に週安値となる12円03を付けた。
そんな折、ジュニアの前島が「課長、MOFの吉住さんから電話が入ってます」と叫んでいる。
「忙しいから、折り返すと言ってくれ」暫くしてもまだ、前島が電話を切らないでいる。
「どうした?」
前島が受話器をクリック*をした後、「少し待つと言っていますが、どうしましょう?」と言いながら、困った様子を見せる。
「分かった、俺が出る」と言って受話器を取った。
「申し訳ありません。場が動いているときに」吉住の詫びる声がした。
「場を見てるのなら、少しは気を利かせろ。そんなに急を要する話なのか?」
吉住はMOFの人間だが、大学の同好会の後輩である。遠慮なしに厳しく言った。
「はい、いえ、まぁ・・・。例の講師役の件で、坂本から直ぐに取りついでくれと命令されたもので」
「どう言うことだ?」
「引き受けてくれた礼を言いたいとのことです。それで本当に申し訳ないのですが、先輩から坂本に電話を入れてくれませんか?」
「馬鹿かお前は!礼を言いたいのなら、彼が俺に電話をしてくるのが道理じゃないか。そんなに理不尽なのか、霞が関ってところは?」
「いえ、彼は特別の存在なんです。間違いなく局長に上がり、その先に事務次官のポストも見えてる人物なんです」
「それが俺とどう関係するんだ。兎も角、話があるなら、‘そっちから掛けてこい’と言っておけ。それと電話はディーリング用でない番号にな」有無を言わせず、受話器を置いた。
‘世の中、ふざけたヤツがいるもんだ。今の話を聞いただけでも、岬の夫婦生活がどんなものだったのかが窺い知れる’
場は時計の針が6時を回る頃になって落ち着いてきた。吉住の電話で気分がザラつき、もはや場に入る気持ちも失せている。
「山下、Kiethへ行くか?」
「はい、5分待って下さい。ちょっと、事務処理を済ませますから」
「分かった」と言いながら、窓際に向かって歩き出した。眼下に目をやると、日比谷通りを南北に車のヘッドライトが行き交う。いつもと変わらないはずの光景だが、師走のせいだろうか、車が多い様に感じられる。
そんな光景を見ながら数分が経った頃、「課長、MOFの坂本さんからお電話です」と山下の声が耳に入ってきた。
‘捉まってしまった様だな’仕方なしにデスクに戻り、電話に出た。
「仙崎です。いつも国際金融局にはお世話になっております」社交辞令から切り出した。
「初めまして、財務省主計局の坂本です。先刻は吉住の表現が拙かった様で、私の意が届かずに残念でした」明らかにこっちから電話をしなかったことに対する不満がその声に滲む。
「残念とは?」
「いや深い意味はないのですが、普通はあれで電話が頂けるのかと・・・」
「はぁ、そうですか」‘財務省が常に上に位置し、そして中でも自分が常に上にいる’そんな感じの話しぶりである。
「まぁそれはそれとして、この度は講師役をお引き受け下さり、ありがとうございました。仙崎さんのことは為替の世界では有数の人材とお聞きしています。国際金融局の連中も皆、あなたのファンです。そんな仙崎さんのお話しを聞くのを楽しみにしていますよ」そこまで話すと、急に声のトーンを落とし、
「そう言えば、家内もあなたの出演していたニューヨークのTV番組をしばしば見ていました。IBT勤務時代に家内もあなたのファンだったのでしょうかね」と尋ねる様に言う。
‘もうそれ以上の当りを付けているくせに、白々しいやつだ’
「もしそうであれば、光栄ですね」こっちもしらばっくれて返した。
そんな時、「課長、ロンドンからお電話です」と、電話の相手にも聞こえる様に山下がわざと大声を張り上げた。
「お忙しそうですね。お邪魔してしまった様だ。それじゃ、勉強会は1月の中旬を予定しているので、宜しく頼みますよ」と言って電話を切った。
「山下、フェイクコールありがとう。待たせて悪かったな。さ、行くか」
‘Kieth’は2件目に使う店だ。7時過ぎでもそこそこ席が空いていて、いつものテーブル席を確保できた。
椅子に座ると、山下は「ビール、チーズの盛り合わせ、それからサンドイッチ」とマスターに注文を入れた。
それに「BGMは‘Coltrane’の‘Say it(over and over again)’の入ったアルバムをお願いします」と頼んでいる。
もうすっかり常連気取りだ。「お前、いつからジャズを?」
「ニューヨークへ行く前に少しジャズの勉強でもと思って・・・。柄にもなく、休みの日に近所のジャズ好きの店主が営むコーヒー店に出向いています」頭を掻きながら、照れて言う。
「それは良い。大分ニューヨークのジャズクラブも閉店に追い込まれてる様だけど、まだ良い店が残っている。奥さんも連れて行ってあげるといい。
ところで、さっきは助かったよ。彼が俺と岬のことをどこまで知っているのか知らないが、結構思わせぶりの口調だった。恐らく岬は何かの拍子に俺のことを口走ってしまった様な気がする。勉強会の前に彼女に再確認しておく必要がありそうだな」
「そうですか。やっかいな話ですね」
「まあ、乗りかかった船だ。売られた喧嘩だしな」
ビールとサンドイッチで腹が膨れた様子の山下が「もう、クリスマスですね。相場が動くのも年内は来週一杯でしょうか?」と聞いてきた。
「あっちの税制改革も決定だろうし、それでどこまでドルが買われるかだな。もっとも、欧米は実質的にクリスマス休暇に入るから、必ずポジション調整に出てくる。シカゴの円売り越し高はまだ結構残っているから、手仕舞ってくる可能性もあるので注意しとくと良い。俺は6日に付けた11円99が抜ければ、10円台もあると見てるけど。まあ、仕事の話は止めにして飲もう」
’Joachim Kuhn’の‘Sometime Ago’が店内に切なく流れ出した。泣かせるメロディーである。
注
*円:ディーラー間では、‘円’と言ったら‘ドル円’のことを指す。
もちろん、ドル円と言っても問題はない。
*クリック:電話相手にこっちの話を聞かれない様に、ミュートにすること。
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https://real-int.jp/articles/1772/