物語 ディーラーは死なず1

為替ディーラー物語『ディーラーは死なず』
日々の外国為替相場にリンクして進行するディーラー物語。相場動向を物語にしているため、相場で何が起きているのか相場を疑似体験でき、相場の本質の理解に役立ちます。
前回の物語は、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1654/
エピソード1 収益改善
第19回 一件落着
週初の9日、日米が休日のなか、北朝鮮・朝鮮労働党創設記念日を翌日に控えていることもあって、どの通貨ペアも小動きに終始した。ドル円も112円台で動意に欠ける展開だったが、どことなく上値に重たさが感じられる気配だ。
そんな日の早朝、コネティカット社のオーエンから浅沼に電話が入った。
「ドルを売りたいそうで、課長の意見を聞いてくれとのことです。先週、損失の半分を取り戻したせいで、少し調子づいているのかも知れませんね。どうしましょうか?」浅沼が困った様に言う。
「多分、お前の言う通りだ。相場は簡単だと思わせてしまうと、上司である彼自身がスペック(投機)にのめり込んでしまう可能性があるな。そうなれば、また含み損を抱えかねない。あまり俺もこの件だけに関わっているわけにもいかないし、そろそろで決着を付けるか」
「申し訳ありません。こっちの件で課長の足を引っ張ってしまって・・・」やや俯き加減に浅沼が言う。
「いや、そんなことはどうでも良い。とりあえず、彼に‘俺が何故、先週ドルロングのポジションをとらせたのか分かるか’と聞いてくれないか。そして‘その答え次第で、ドルショートを取らせると言うのが俺の申し送りだ’と伝えてくれ」
「なるほど、‘コネティカット社東京の本来の為替エクスポージャー(晒されているリスク)が何なのかを考えてみろ’ってことですね。了解です。僕は課長の様に流暢に英語が喋れませんから、上手く言えるかどうか分かりませんが、やってみます」
「お前は将来また、海外に出たいんだろ?英語でやりとりが出来なくてどうする。大丈夫だ、頑張ってこい」浅沼は20代の頃、トレイニーとしてロンドン支店で1年間勤めている。この程度の英語なら喋れるはずだ。
自席に戻った浅沼が電話を掛けるのを見届けて、スクリーンに目を戻した。ドル円は12円70(112円70銭)前後の小動きだが、どうやら13円に届く気配はない。
コーポレート・デスクの方から浅沼が英語で話しているのが聞こえた。少したどたどしいが、正確に喋っている。‘問題ないな’
30分ほど経った頃、浅沼がオーエンの答えを持ってきた。
「‘彼等の実需のエクスポージャーがドルショートであり、ドルロングのポジションであれば、たとえhead wind(アゲインスト)になっても、それを本店向けの決済に当てられる’というのが彼の答えでした。どうやら、ドルロングを彼に持たせた課長の真意を理解した様ですね」
「そうらしいな。それを理解しているなら、ここは売らせても良いか。但し、損失を全部回収したら、‘スペックにはもう手を出さないことが条件だ’と言ってくれ。40本売って、60銭抜ければ、先週の利益と合わせて損失はほぼ回収できるな。今70~72か。よし、オーエンに電話して、俺が‘ドルの上値は重いと言ってる’と伝えてくれ」
「了解です」
数分後、ディーリング・ルームに浅沼の声が響いた。「円(ドル円)、50本」
その右手人差し指は下*を向いている。オーエンがドル50本売ってきたのだ。それを見て、自分もドルを売ることにした。自分で暗にドル売りを薦めた以上売らないわけにはいかない。
「山下、50本売ってくれ」
「71です」
「了解。ストップを45(113円45銭)で頼む。利食いは入れなくて良い」
数分後、浅沼が‘オーエンが利食いのリーブ・オーダーを20(112円20銭)で20本、10(112円10銭)で30本、置いてきた’と伝えてきた。
その日の海外でドル円は111円99銭を付けた。‘これでやっと、コネティカットの件も決着が付いたな’
週後半のドルは112円半ばまで戻すのが精一杯となり、111円台は間違いない状況になっていた。年初来安値の107円32銭を付けた後、ドルは112円台まで順調に上昇してきたが、その後は時間の割に伸びに欠ける展開が続いている。
上値遊びが長過ぎるのだ。こうした状況は調整局面を迎えるか、一相場の終わりを示す兆候である。
そんなことを考えていた週末の夕方、山下が「スポットが転換線を下回りだしてから一週間です。どうやら、あのポジションが根っこになる可能性が高いですね。僕も課長に乗っかって、同じ水準で20本ショートしてみました」
「それは良かった。まだ利食ってないのか?」
「はい」
「じゃ、’Don’t count your chickens before they are hatched.’ ってところか」
「何ですか、それ」
「捕らぬタヌキの何とやらって感じかな。ところで、今夜何処か行くか?」
「はい、少し寒くなってきたので、おでんで熱燗はどうでしょう?」
「それは良い。浅沼も誘っておいてくれ。このところ、あいつもコネティカットの件で疲れているはずだ」
山下の選択した店は湯島にある‘こなから’だった。金曜の夜の予約は難しいと言われる店だが、運良く空いていたという。新丸ビル店などの支店もあるが、‘本店の味がどことなく良い’というのが彼の評価である。
「浅沼、ご苦労様。これでオーエンも、晴れて本社の役員に成れるってことか」
「今回の件ではお世話になりました。彼も相当に課長には感謝している様です。お蔭様で、あそこの為替は全部うちにくれることになりました」
「そうか。それは何よりだ。サイドも分かる玉だからインターバンクにとっても楽なフローだな、山下」
「はい・・・。何の話でしょうか?ちょっとおでんの選択に気を取られ、聞き逃してしまいました。すみません」
「本当に食い意地が張ってるな、お前ってヤツは。また腹が少し出てきてないか」
それを聞いた浅沼が大きな声を上げて笑うと、客が一斉にこっちを振り向いた。
‘和やかな夜だ’
楽しいひと時を過ごした後、タクシーを拾うと、‘銀座へ’と告げた。目的はカウンター・バーの‘やま河’である。
「今夜はお一人?」ママが聞いてきた。
「ええ、今まで山下等と飲んでいたところです。最後は一人で過ごしたくて、ここに来ました。いつものヤツをお願いします。それと、先日僕が持ってきたビージー・アデー(Beegie Adair)のCDを他のお客さんの迷惑にならない音量でかけてくれますか?」
「はい」凛としながらも、角のない声でママが答える。
ラフロイグ、チェイサー、ドライド・フィグ(干しイチジク)がカウンターに並ぶと、
Beegie Adairの女性らしいピアノの音色が丁度良い音量で流れ出した。‘Love me tender’、’Smile’と続く。
近くに座っていた客が、「良いメロディーだね。何ていうアルバム?」とママに聞いている。
至福の時が流れ出した。
‘来週ももう少し、ドルが下がりそうだな。頑張るか’
注*
手振りで売買を示す場合、yours(ここではドル売り)では人差し指を下に、mine(同ドル買い)では人差し指を上に向ける。また、yoursでは手の平を相手(ここではインターバンク)に向けて倒し、mineでは自分の方に向けて引く様な仕草をすることもある。
続きはこちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1672/