南太平洋島嶼国(しょこく)を狙う中国(下)
「上」編では、太平洋戦争時の日米ガダルカナル(ソロモン諸島)決戦について記してきた。
■上編はこちら「 南太平洋島嶼国(しょこく)を狙う中国(上)」
https://real-int.jp/articles/1620/
6月11日の日経紙「Deep Insight」にコメンテーターの秋田編集委員が、次の通りに記している。
それでも、米豪がことさら神経をとがらせるのは、南太平洋が先の太平洋戦争の要衝だからである。
日本は第1次世界大戦で、ドイツ領だった南洋群島(マリアナ、マーシャル各諸島など)に進出し、占領した。1920年、国際連盟から統治を委任され、これらの群島を正式に支配下に置く。
当初は民間企業を通じて港や空港などのインフラづくりを進めたが、30年代後半になると、旧日本軍も基地の建設を加速。41年12月の対米開戦まで約10カ所に陸上基地を設けた。
当時の日本の狙いを防衛研究所の戦史研究センター長はこう分析する。
「旧日本軍は20年代以降、太平洋でいずれ米国と戦争になることも想定し、南洋群島に軍事戦略の拠点づくりを急いだ。太平洋の中央に『沈まない空母』を築き、米本土とハワイから来襲してくる米艦隊を逐次、撃減する作戦だった」
実際、日米が開戦すると、旧日本軍は南洋群島を足場に、米国の要衝であるグアムなどに侵攻、42年には豪州の委任統治領だったラバウルを占領し、南方作戦の要所にした。
日本はさらにソロモン諸島のガダルカナル島を支配し、米豪を分断しようとも試みた。同島をめぐる激戦はあまりにも有名である。
米豪などが中国に強く反発するのは、こうした太平洋戦史の傷を刺激されているからなのだ。
(以下、上編に続く)
ただ、ガダルカナル島の戦いは、ソロモン諸島を巡る戦いの第1ラウンドにすぎなかった。
その後、1943年のほぼ1年間、ソロモン諸島を巡る戦いは続いた。
米国はガダルカナル島を起点にソロモン諸島の西方にある小島をひとつずつ奪取し、ここに航空基地を築いていった。
それは、日本軍の航空機の襲撃と戦いながらの丹念な前進であった。
この一連の戦いでも、日本には海上封鎖の概念がなかったゆえ、次々と島を米軍に明け渡すしかなかった。
米軍がソロモン諸島の最も西にあるブーゲンビル島にまで基地を築いたとき、遂に日本のラバウルに対しての本格的な空襲が可能になった。
1944年初頭、ラバウルを巡る航空戦によって、日本のラバウル航空部隊の消耗が限度を越えそうになった。
日本は耐え切れず、ラバウルにあった航空部隊を後方のトラック島に移した。
こうしてラバウルは無力化し、米国はソロモン諸島を完全に確保することになったのである。
まさに米国の大攻勢はここから始まり、日本は西太平洋の島嶼を次々に奪われ、まっしぐらに敗北の道へと進んでいった。
豪州の生命線もニューギニア・ソロモン
豪州は先進国でもあれば、資源大国でもある。しかもほとんど攻められたことがなく、長く安全保障に神経質になることはなかった。
英国がシンガポールを根拠にしていた1942年までは、英連邦の一員である豪州はその安全保障をシンガポールに委ねていればよかった。
ただ、その安全保障は西太平洋に覇権国家が誕生するようになると、ぐらついていった。
豪州自体が侵略を受けることはなくとも、豪州の北方に位置するニューギニア島、ソロモン諸島が海洋覇権国家の影響下に置かれるなら、豪州は覇権国家と真正面から向き合わねばならなくなるからだ。
実際、ニューギニア島、ソロモン諸島は豪州の長く盾であり続けてきた。熱帯雨林に覆われたニューギニア島、ソロモン諸島は酷暑、かつマラリアの猖獗を極める厳しい自然環境下にある。
温暖な気候に慣れた入植者を、厳しい自然がハネつけ、追い返してしまう。
ここに軍事基地を造成し、本格的に浸透しようという勢力など現れないと考えられていた。
けれども、西太平洋に海洋覇権国家が誕生するなら、話は違ってくる。
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(この記事は 2022年6月12日に書かれたものです)
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