物語 ディーラーは死なず1

為替ディーラー物語『ディーラーは死なず』
日々の外国為替相場にリンクして進行するディーラー物語。相場動向を物語にしているため、相場で何が起きているのか相場を疑似体験でき、相場の本質の理解に役立ちます。
前回の物語は、こちらよりお読みいただけます。
https://real-int.jp/articles/1619/
エピソード1 収益改善
第16回 崩れた証拠隠滅
月曜(3日)の8時半に、支店を訪れた。顔馴染みの受付嬢に通り一遍の挨拶をすると、まっしぐらにディーリング・ルームへと向かった。部屋に入ると、目敏く俺を見つけた横尾が歩み寄り、前に立ちはだかった。これ以上一歩も前に進ませまいとする気持ちが伝わてくる。
そんな横尾の顔を平然と見つめ、「お早うございます。その節は、楽しませて頂きありがとうございました」と淡々と言った。俺を潰そうと思って仕掛けたつもりのディールが上手く行かず、返り討ちにあったのだから、気分の良いはずがない。
苦虫を噛みつぶした様な顔で、「今日は一体、何の用だ?」と憮然と聞いてきた。
「それを今更、横尾さんが私に尋ねるんですか?私の懲罰会議で身の潔白を晴らすための証拠収集に決まってるじゃないですか」
「なんでそんなモノがこっちにあるんだ?」
「あるかどうかは、これから調べなければ分かりません。一応、これがありますので、ご確認下さい」東城からの調査許可書である。
本部長の署名入りの調査許可書を見せられては、横尾もぐうの音もでない。「勝手にしろ」と言い残すと、自席へと踵を返していった。
鍔迫り合いが終わった頃合いを見て、山下が傍に寄ってきた。「お疲れ様です。これ、準備しておきました」と言う。
11月中のディーリング・レコード(一覧表)である。
レコードには横尾と戦った際のディールにマーカーで線が引かれ、その時の日時が一目で分かる様になっていた。山下の気配りである。今回の調査ではその日時、それも分単位の時刻が重要なのだ。
顧客とのディーリングは電話で行うことが多い。ディーリングには言い間違い、聞き間違いが付き物だ。事後チェックのため、銀行はすべてのディールを録音している。当然、ディール以外の会話も録音される。
そこに出張の狙い目があった。山下から受け取ったレコードを持って、バック・オフィスへと向かった。バックオフィスのヘッドを務めるルイスに録音調査の申し入れをすると、快く受け入れてくれた。
本部長のサインを付した許可書が物を言った様だ。昔から彼と仲が良かったことも幸いした。ただ、その前にトレジャラーである横尾に承諾のサインを取り付けてくれと言う。
「分かった。ところでルイス、このチェックには相当時間がかかるが、誰がケアしてくれるんだ?」
「Won’t you let me help with that?了、君はこっちにいるとき、僕や部下によくしてくれた。是非、君の役に立ちたいんだ。」
‘何かを感じ取っているのかも知れないな’
「ありがとう。助かるよ。それじゃ、昼過ぎから始めるけど、頼むよ」
「OK、了。とりあえず、1時にナンバー3のミーティング・ルームに来てくれ」
「See you then」
ルイスから渡された承諾書を持って、横尾のデスクに向かった。横尾のデスクにそれを置き、サインを求めると、何食わぬ顔で応じた。そればかりか、不敵な笑みを浮かべている。
‘あの平然とした態度は何なんだ。俺がアイツのことを調べに来たことは分かっているのに’
不可解に思いながらも、山下を誘い、空いているミーティング・ルームへと向かった。
「山下、何かとご苦労だったな。あいつに文句を言わせない様に、お前には通常業務が終わった後、手伝って貰う」
「了解です。それより、課長の調べたいこととは何なんですか?」
「横尾の内規違反、つまり、コンプライアンス違反だ。彼が俺のポジションを潰しにかかったことは、ディーリング・レコードで明白だが、彼のことだ、通常業務だと白を切るに決まっている。
俺の知りたいのは、外部との会話の内容だ。そこに内部情報の漏洩に関することがあれば、貴重な証拠になる。
さっき横尾のデスクを見たが、電話はディーリング・ボードに直結したものだけだった。彼がスイス系ファンドや外部とのコンタクトで、スマホだけを利用していれば別だが、数件に一回位はディーリング用の電話を使っていると俺は読んだ」
「なるほど、分かりました私は5時を過ぎたら、お手伝いに向かいます」
昼過ぎに指定されたミーティング・ルームに向かった。既にルイスが部屋に来ていた。
「了、君に話しておかなければならないことがある。もう、今日の調査はしなくていいんだ」と言いながら、数枚のDISCを渡して寄越した。
「どういうことだ?何でも言ってくれ、遠慮せずに。ここには君と俺しかいない」差し出されたDISCも気になったが、まずは話を聞くことにした。
「あまり大っぴらにできないことだったので、さっきまで悩んでいたんだ。実は先週、Yokoo-sanが僕のところに来て、これから了が行おうとしていることをやった。
それ自体は問題なかったが、その後にとんでもない依頼をしてきた。‘録音の一部を削除しろ’という話だ。
コンプライアンス上、それは絶対できないと断ったが、支店長の許可も得ているから、絶対命令だと・・・」
少し思い詰めて話したせいか、話が途切れた。
暫く間を置いて、「それで?」と尋ねた。
「一晩考えさせてくれと言い。そして翌日、彼の話を受け入れた。Shimizu-sanからも電話があったので、仕方なかったんだ。
ただ、事後調査で録音の一部が欠落していたことが発覚すると、僕自身が処罰の対象になる。だから、自分なりに策を練った。
了がビッグディール(大きな金額のディール)を行い出した日からの録音を事前にコピーしておいた上で、Yokoo-sanが指摘する箇所を彼の目の前で削除した。
ざっと、こんな話だ。了が調べれば、録音が欠落していることが直ぐ分かるから、その前に話した」
「そうか、よく話してくれたな。このDISCが削除した箇所のコピーか?」
「ああ、全部じゃないが、その数枚を聞けば、彼のコンプライアンス違反が証明できる。もし、全部をコピーしたければ、録音室で出来るけど、どうする?」
「ルイス、君の話を聞けば、余分な仕事をする必要はなさそうだな」笑って応えながら、握手を交わした。
「あっ、それと言い忘れたことがある。僕は日本語が分からないけど、Tamuraって人とも随分話している様だった」
「ああ、それも知りたかったことだ。助かったよ。本件、君は何も心配することはない。ありがとう、よく話してくれたな。I wish you a happy holiday!」
ルイスと別れると、山下のデスクに向かった。
「すべて終了した」
「えっ、随分と早く済みましたね?」
「ああ、誰かが墓穴を掘ってくれたお陰で、ことが早く済んだ。これで懲罰会議に臨む準備は整った。会議は水曜日の午後だから、明日の便で東京に戻る」
「えーっと、その件ですが、本部長からのメールで会議は来週に延期になったそうです」
「ヘぇー、そっか。それじゃ、東城さんにメールで伝えておいてくれ。‘首尾上々。従って、少し休暇を頂きます’と」
「了解。それじゃ、今晩は、何処かに繰り出しますか?」
「ああ、それは良いな。俺はこれからサックス5thアヴェニューにでも寄って、お袋の土産を買うことにする。仕事が片付いたら電話をくれ」
帰りがけに横尾に声を掛けた。「横尾さん、調べが終わったので、これで帰らせて頂きます」
「えっ、もう終わったのか・・・?」怪訝そうに言う。
「ええ、お陰様で」
「気を付けてな」と精気のない声が返ってきた。先刻見せた不敵な顔は不安に怯える顔に変わっていた。
支店のビルを出ると、外は薄暮だった。まだ4時を少し過ぎたばかりだ。改めてニューヨークの冬の夕暮れは早いと思った。
サックス5thアヴェニューは、支店からパークとマディソンの二つのアヴェニューを跨いでツーブロック先にある。パークアヴェニューで信号待ちをしていると、反対側の歩道を歩く日本人女性を目が捉えた。
‘ボブの髪型、凛とした歩き方、間違いなく岬だ’
声をかけようとしたが、長い幅員や南北を行き交う車の騒音を考えると、とても声が届くとは思えなかった。
そんな戸惑いを覚えていると、岬が誰かに向けて手を振っているのが目に入った。岬から10メートルほど先に、中年の白人男性が手を振り返している。
‘30代半ばの小柄な可愛い日本人女性、欧米人が如何にも好みそうなタイプだ。松本にある母親の店はどうするんだろう?もう俺が心配することでもないか’
ほろ苦さを覚えながら、パークアヴェニューを西へと渡った。
‘You Don’t Know What Love Is’がサックスの音色に乗って流れてきた。路上で黒人男性がサックスを奏でている。Coltrane には遠く及ばないが、薄暮のマンハッタンには良く似合う音色だ。そして今の俺の心にも・・・。
‘今夜は山下とゆっくり、スコッチでも飲みかわすか’
ドル円相場は週初に113円87銭を付けた後、週後半に112円23銭へと沈んだ。
金曜日の晩、社宅の固定電話が鳴った。沖田からである。
「出張の成果、山下から聞きました。良かったですね」
「ありがとう。休んで悪かったな。それで、用件は?」
「国際金融の木村さんには、来週の相場予測メールしておきました。
基本、ドル一段安。戻っても113円台半ば程度。予測レンジ:111円50銭~113円65銭。
ほぼそんな内容ですが、宜しかったでしょうか?」
「申し分ない。ありがとう」
「課長、辞めないでくださいね」切りかけた電話で声を聞いた。
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