新疆ウイグル自治区の重要性とは
★★★上級者向け記事
12月16日、米議会上院は中国新疆ウイグル自治区を産地とする物品輸入を全面的に禁じる「ウイグル強制労働防止法案」を全会一致で可決した。
バイデン大統領が署名し180日後(来年6月)に発効することになる。一部でも同自治区の産品が入った製品の輸入を原則禁止する内容。日系を含む進出企業がサプライチェーンの見直しなど対応を迫られる。
もちろん、中国当局は同自治区のウイグル族を弾圧し、安価な労働力として強制労働させ、国際競争力ある製品を世界中に輸出してきただけに打撃の度合いは計り知れまい。
それにしても、なぜ中国共産党政権は同自治区のウイグル族を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」するのか。この点を理解できなければ、中国権力層の考え方も理解できまい。
中華思想による地政学
古来、中国は自らを世界の中心、つまり中華と見なしてきた。
中華の外にあるのは、北狄、東夷、南蛮、西戎という、文明を知らない野蛮な夷狄たちである。
中華である中国に課せられた使命は、野蛮な夷狄たちに文明を教え、教化することである。
教化とはつまり中国化することであり、中国を絶対なる親のように崇めることだ。
中国にはいまだに儒教的な思考が残り、臣は君に絶対的に従わねばならず、子も親に服従しなければならない。
この儒学思想が、中華思想による地政学に影響を及ぼしている。その中国のあり方は、かつては朝貢・冊封システムとして機能した。
中国周辺の君主たちは中国王朝に朝貢し、中華皇帝に冊封されることで初めて「王」としてふるまえた。その世界に、皇帝を名乗るのは中華皇帝のみである。
現代の中国共産党にも、そうした中華意識は続いている。中国は東アジア、東南アジア、中央アジアをすべて従えたい。それは天から与えられた使命のようなものなのである。
現在、南モンゴル、チベット、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)では、中国共産党政府は現地の文化や宗教、言語を奪い取りにかかっている。
これこそが中国化、教化の世界であり、中国の中華地政学に基づくものなのである。
中国を圧してきた東トルキスタン
新疆ウイグル自治区といえば、現在、中国共産党政府によってウイグル人の民族浄化(エスニック・クレンジング)がなされている地である。
多くの先進国は見て見ぬふりをしているが、新疆ではウイグル人の文化、さらには彼らの血さえも抹殺されつつある。
中国は膨張戦略を進めるため、新疆の徹底的な中国化を謀っているのだ。新疆は東トルキスタンといわれる地であり、かつては中国大陸の住人からは西域とも呼ばれた。
モンゴル高原とチベット高原に挟まれた広大な回廊地域であり、中央にはタクラマカン砂漠が広がる。通商ルートになりこそすれ、諸勢力が乱立し、統一の難しい地である。
中国大陸の歴代王朝が、東トルキスタン全土を支配したことはない。紀元前に前漢帝国がモンゴル高原の匈奴に対抗するため、東トルキスタンのタリム盆地まで進出できた程度である。その進出も、やがては瓦解する。
唐帝国や明帝国の時代でも、敦皇からわずかに西に侵攻するのがせいぜいであった。敦皇は現在の行聖域では甘粛省に属していて、新疆には達していないから、東トルキスタンの制圧は夢のような話であった。
東トルキスタンは中国の中心から遠いうえ、農業には向かなかった。ゆえに、中国の歴代王朝はここを押さえ込めなかったのだ。
そればかりか、東トルキスタンを制した勢力は、中国大陸を脅かしもした。6世紀にはトルコ系の突厥が東トルキスタンで台頭した。
突厥はモンゴル高原とジュンガル盆地の間にあるアルタイ山脈を根拠地として、東西に進出した。アルタイ山脈には鉄鉱石があり、そこから精錬した鉄が彼らの血からの源泉となった。
彼らは西ではササン朝と結んで、エフタル(白フン)を滅ぼし、東ではモンゴル高原の柔然を滅ぼした。さらには華北を支配する北魏に圧力をかけ、隋・唐帝国の脅威ともなってきた。
その後、突厥が内紛により分裂して力を弱めていったとき、代わって東トルキスタンの支配者となったのはウイグル(現在のウイグル自治区のウイグル人とは無関係)だった。
ウイグルもまたモンゴル高原を制し、唐帝国を圧迫した。8世紀、中国大陸で安史の乱が起きたとき、窮した唐はウイグルに軍事支援を仰がねばならなかった。
乱はウイグル兵によって平定されていき、中国はウイグルの属国も同然となっていた。
しかし、その後、東トルキスタンはモンゴル帝国に占領され、その分裂国のひとつであるチャガタイ・ハン国の一部ともなる。この時代以降、東トルキスタンでは、イスラム化が進み、この点でも中国大陸とは別の文化をもつに至っている。
このように、東トルキスタンを中国の王朝が制することは難しく、逆に東トルキスタンは中国大陸の政権にとって脅威であり続けたといってよい。
東トルキスタンは、モンゴル高原とチベット高原を結ぶ地でもある。モンゴル高原、チベットは長く中国大陸への刃であり続けた。
そこに東トルキスタンが結びついたとき、中国は北方、西方から強い圧力を受けることになる。
ゆえに、歴代中国王朝は東トルキスタンの制圧を欲しもしていたが、気の遠くなるような話であった。
東トルキスタンの独立はタブー
中国王朝が征服できなかった東トルキスタンを制圧してみせたのは清帝国である。満洲に勃興した清帝国は、17世紀に中国大陸を制覇し、モンゴル高原から満洲、中国大陸にかけての大帝国を築いた。
このとき、清帝国に対抗したのが、モンゴル高原の西にあったジュンガル部だ。
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(この記事は 2021年12月25日に書かれたものです)